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私:朝日新聞は2日に渡り、「護憲VS.改憲」のテーマで6氏にインタビューしている。 まず、1人目の駒大教授の山崎望氏は、「多数決主義が国民を分断」として、最終的に多数決で決めたとしても、少数派を束ねられなかったことへの反省や決定へのためらいがないところに民主主義はなく、今の改憲論には、自由主義や民主主義の基盤を崩す私権制限の議論も入っていて、果たして国民一人ひとりがこうした議論を必要とする機運が高まっているかと疑問視。
それなのに、多数決をふりかざして合法的に改憲したとしても、国民の分断を深める民主主義の「危機」としか言いようがないという。
だから、山崎教授は、今、改憲は危険だと考えていて、それは「国民に信を問う」という言葉に代表される、民主主義を多数決主義と短絡した議論が幅をきかせているからだという。
A氏:山崎教授は、9条改憲の理由として、憲法学者が自衛隊は違憲だと言うから、と語られているが、裏を返すと、差し迫った必要性がないことを証明しており、東アジアの安全保障環境の変化に、緊急の対応が必要と考えるならば、ハードルが高い憲法改正ではなく、個別の法律で速やかに行えばいいという。
私:二人目のジャーナリスト・編集者の松竹伸幸氏は、護憲派だが、改憲が0点で護憲が100点とは思っておらず、45点と55点ぐらい。 1960年代から(非武装中立を唱えていた)社会党支持層でさえ自衛隊は必要と考える人の方が多くいた。
結局、安全保障をだれもまじめに考えてこなかったことが問題なので、護憲派は考えないことが誇りで、改憲派も米国の抑止力に頼っていればよいという立場で無思考。
A氏:安倍首相の加憲論が支持を得そうで焦ったのか、護憲派の中で安全保障を議論する機運が後退したが、護憲論が原理主義化してはいけないという。
護憲、改憲の両極の間をくみ取り、その議論を必要なのは、紋切り型の護憲論と改憲論の間の豊かなグラデーションを反映した議論だと、松竹氏はいう。
私:3人目の山元一慶大教授は、憲法学界で半数ほどの学者が「自衛隊違憲論」を主張するなかで、自衛隊の存在そのものの合憲・違憲論争に終止符を打ちたいという安倍首相らの問題意識は理解できるという。
ただ、9条改正には、ある種の覚悟を持って向き合わなければならないという。
そのために、戦力保持や交戦権を認めない9条2項が戦後日本で果たしてきた役割と意義を再確認すべきで、保守派は2項を「国辱的規定」とする見方から脱却して、9条で得られた平和と繁栄を再確認し、「そこからどうするべきか」を考える必要があるという。
A氏:ただ、戦前の日本の評価と絡む9条には歴史的因縁があり、国民投票で単純に賛否を問うのも難しいので、いずれ乗り越える必要はあるが、9条から憲法改正に取り組むことは、練習もせずに3回転ジャンプに挑むのと同じで非常に危ないことに見え、「まず9条」は尚早で危ないという。
それより、みんなから「いいね」と言われる環境権や教育無償化から始め、「憲法改正には良い面がある」という経験値を高めていくことが理想的だと山元教授はいう。
私:4人目は中西寛京大教授で、憲法9条を改正すること自体には賛成で、本来なら、日本が講和条約を結んで、国連に加盟した1950年代に変えておくべきだったという。
ただ、いま進んでいる9条改正論は問題だという。
政府は、9条で自衛権の行使は否定されておらず、自衛隊は合憲という立場を一貫してとってきており、憲法学者の間に自衛隊違憲論があるという理由で、従来の政府の解釈をそのまま確認するかたちで条文を改正するのは、合理性があるとは言いにくいという。
1項、2項を残したまま、自衛隊を併記するのは、政治的には通りやすいだろうが、論理的整合性に乏しい。
自衛隊の存在や自衛権を明記するのなら、2項を変更し、「戦力を保持しない」ことと、自衛権を担保する実力組織が矛盾しないことをはっきり表現すべきだという。
自民党の石破氏と同意見だね。
A氏:政府は、安全保障や国防政策をなんら変更するものではないと説明するだろうが、諸外国がその説明を素直に受け入れるとは考えにくいと中西教授はいう。
大きな政治的コストを払って改正する以上、何らかの政策変更の意図があると考えるのが自然で、特に中国や韓国は強く反発する可能性があり国際的に不信感招くだけと指摘する。
しかも、憲法の条文を改正しなければ対応できない事態は、ほとんどないと中西教授はいう。
現に安倍政権は、憲法解釈の変更という先例もつくり、法整備や解釈変更で対応できるのなら、あえて憲法の条文に手をつける必要性は高くないという。
従来の解釈の確認にすぎない改正を、衆参両院の3分の2が確保できそうだからやろうというのは、国内的に納得されず、国際的にも不信感を招くだけだと中西教授は指摘する。
私:5人目は中西岳志東工大教授で、安倍首相は憲法9条に自衛隊を明記した3項を加える改正案を唱えているが、反対だという。
集団的自衛権を認める解釈改憲を追認し、自衛権の範囲をなし崩し的に拡大しているという。
これでは憲法の空洞化で、そうではなく、やってはいけないことを明文化し、自衛権の行使に歯止めをかける「立憲的改憲」が必要だと中西教授は考えているという。
日本国憲法は英米の流れをくんで短い憲法なので行間に不文律が多く存在しているので、これはやってはいけないという憲法学者ら多くの人たちの解釈の体系を含んでいる。
9条も条文だけ見れば自衛権の範囲を明文化しておらず、穴だらけ。
しかし、従来、解釈の体系で安定させ、歯止めをかけてきた。
戦後の保守政治家は、解釈の体系を使いこなしてきて、アメリカからベトナム戦争で自衛隊の派遣を求められても、「9条があるから行けません」と主権を行使してきた。
A氏:しかし、現政権は、集団的自衛権を認める解釈改憲を行って「最後のとりで」を崩した。
「保守」を名乗りながら先人らが共有してきた慣習を破ることをためらわず、憲法でも「書かれていないことはやっていい」とばかりに、内閣法制局長官に自分の意をくんでくれる人を任命して解釈を変えた。
これは憲法の短さの悪用。 それに対抗するために、不文律を一つ一つ明文化して、自衛権の範囲をはっきり整理するべきだと、中西教授はいう。 また、9条の空洞化も進んでいて、国民の不安と立憲的な改憲の必要性とをどう調整するか。立憲主義が乗り越えねばならない大きな課題だという。
私:最後の6人目は批評家の東浩紀氏で、この国では、まるで神学論争のように長く護憲対改憲というイデオロギー対立が続いてきて、いつも最も激しく対立するのが9条であり続けていたので、これを打破しようと、2012年に若手の学者や官僚らと新憲法の草案を作り、発表。
日本国憲法の9条にあたる部分では、「国際紛争を解決する手段としては、武力の行使は放棄する」「国の交戦権は認めない」としたうえで、「自然災害と人的災害に対して」「自衛ならびに相互援助する権利を有する」として、「前条の目的を達するため、自衛隊を設立する」という条文にした。
しかし、東氏は憲法改正論者だが、決して、安倍首相や自民党が考えているような、国家主義的で、外交・安全保障政策的に対米従属を強めていこうとする姿勢に賛成していないという。
A氏:明治憲法も日本国憲法も、国民がみんなで一から議論して作り上げたものだとはいえず、明治憲法は、ヨーロッパにあったものをモデルにして急いで作ったものだし、また、日本国憲法に占領軍の意向が強く入っているのも事実。
その意味で、日本人は自分たちで統治のルールを作るという経験が少なく、自ら考え、議論をすることで、国民が憲法の意味をより理解でき、より有効に政府の暴走をおさえる法典になるはずだと東氏はいう。
自ら考え、議論をすることで、国民が憲法の意味をより理解でき、より有効に政府の暴走をおさえる法典になるはずだという。
私:安倍首相の9条の2項を残したままの改憲は前途多難のようだね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2018.03.24 16:59:05
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