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私:高齢者は「65歳」から、という線引きの見直し論が出ているとして、朝日新聞は、3氏にインタビューしている。
1人目の秋山弘子氏は、「生涯現役」の意欲を活かせということで、調査データから男女ともにおおむね70代半ばまではひとり暮らしができるくらい健康、ということがわかったという。
身体機能や認知機能も若返っていて、東京都健康長寿医療センターの調査によれば、老化に関する指標である通常時の歩行速度を1992年と2002年で比較すると、男女とも11歳若返っていた。
日本老年学会が昨年、「65歳以上」とされる高齢者の定義を「75歳以上」にすべきだと提言したのも、こうしたデータの裏付けがあったから。
A氏:定年や公的年金の支給開始の年齢を75歳に引き上げるべきだ、という意見もあるが、秋山氏は、高齢者は個人差が大きいから反対だという。 70歳でマラソンを完走する人もいれば、自宅の郵便受けまで歩くのがやっとの人もいて、年齢で線引きして定義すること自体、あまり適当ではないという。
かつては余生だった定年後の考え方が団塊の世代あたりから65歳は「セカンドライフの出発点」という考えに変わってきて、日本の高齢者は支えられる側よりも支える側にありたい、と願っている人が多いという意欲を生かさぬ手はないと、秋山氏はいう。
定年後は健康で仕事の能力もあるのに、行くところがなく、家でテレビばかりみている人が多かったので、徒歩や自転車で行ける距離で農業や学童保育といった就労機会をつくり、働き方もその人の体力や自由な時間にあわせるという、生涯現役促進地域連携事業と名付けられたこの手法には政府の予算がつくようになり、いまは29自治体に広がっている。
働けば、身体を動かし、頭も使うほか、人とのつながりもでき、健康寿命を延ばす特効薬といえる。
今後も減っていく生産年齢人口を補うための最適解は生涯全員参加型の社会をつくることで、それは、高齢者や女性だけでなく、病気や障害、介護など様々な問題を抱えている人たちが無理なく生涯、働ける柔軟な社会だと、秋山氏はいう。
私:秋山氏の考えのベースにあるのは、「生涯現役」発想だが、これと正反対の考えのベースを持つのが2人目の「70歳まで働く人生、幸せか」という森永卓郎氏だね。
これは、労働は「苦役」だという欧米型発想だね。
俺の若いときに、知り合いの外国人が、定年は40才くらいがいいと言っていて、ビックリして理由を聞いたら、40才で定年になって年金がもらえるなら後は、十分に好きなことができるからだという。
「労働」の語源から考えると、まずラテン語系の laborには古代の奴隷制を連想させる苦役のイメージが色濃く付きまとっていて、堪え忍ぶ苦しい仕事の意味合いが強く、労使関係、労働運動、革命運動等の文脈における「労働」は基本的に labor 。
ちなみにドイツ語の Arbeit の語源的意味も 「辛苦」、「困苦」であり、フランス語の travail にいたっては「責苦」、「拷問」という恐ろしい意味が語源にあり、この系列では、働くことは「苦」。
定年でその「苦」から解放されるというわけだ。
A氏:森永氏は、安倍政権の成長戦略は、年をとっても働け、ということにつき、「1億総活躍社会」は、経済成長のための国家総動員体制だという。
70歳まで働いたほうが成長率が上がるというのは経済学的には正しいが、問題は、そういう社会が望ましいのかということだと、森永氏はいう。
「経済成長こそすべての目標だ」というのは、考え直す時期に来ており、絶対的貧困はなくさなければならないが、高齢まで働き続けて、必要以上に経済を成長させても、幸せな社会にはならないという。
これまで通り働くのは65歳までにして、そこから好きなことをするという社会のほうがいいし、減ったとはいえ年金があれば、あまりお金にならない仕事でも食べていける。
みんな年をとったらアーティストになればいい、そのほうが楽しいし、社会として健全だという。
私:森永氏自身、65歳になる前から、将来やりたいと思うことは全部始めていて、歌手も、役者も、カメラマンも、落語家も、おもちゃ屋もやってみたし、博物館もオープンさせた。
金にはならないが、すごく楽しいという。
高齢者の基準を決めるには、まずどういう人生が幸福かという根本的な議論をすべきで、政府が勝手に決めていいものではないと森永氏は指摘する。
今、「人生100年時代の国家戦略」などいう言葉があるが、森永氏の言うように福利厚生財政の検討を中心にしてもらい、経済成長のための「生涯現役」戦略は考えものだね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2018.04.14 14:49:45
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