東京 日比谷公園 ホセ・リサール像
広島から東京へ広島空港からはスプリングエアーを使用今回初めて搭乗しますが驚き価格の往復12000円、新幹線の片道料金以下カードラウンジもみじコーヒー無料各種ソフトドリンク無料地酒も1杯無料国内線での成田は初めてB737、3-3席配置思ったより広い1時間10分で到着途中富士山が見えますと親切に教えて頂いた成田空港3階のフードコートプライオリティパスが使えるコースがあります(無料)こちらがプライオリティパスの道頓堀セット到着後でもチケットとプライオリティパスがあれば無料になります。正規価格は3400円テイクアウト可東京駅まではバス約70分1300円電車より楽で快適でした。10分毎に出発するので待ち時間もなし東京駅到着日比谷公園を目指します日比谷公園に到着案内地図はありますがホセリサール像については記入されていない。入口の交番に入り尋ねるも数人いた警察官は誰も知らなかった。交番がある公園入口から入り公園外周の帝国ホテル側を歩くと像が見えてきました。交番から歩いて3分フィリピンの国民的英雄 ホセ・リサール(1861年6月19日~1896年12月30日35歳)医師であり革命家、フィリピンの独立運動の指導者スペインの植民地政府当局により逮捕、軍法会議にかけられ銃殺刑となる。日本で例えると坂本龍馬のような存在、今でも国民的英雄として学校教育でも伝えられている23年12月のフィリピン訪問時にはマニラのリサール公園やサンチャゴ砦リサールの生まれ故郷であるカランバのリサール資料館も訪問した。リサールは15か国の言葉を話す事ができた秀才日本語も少し話せたようだ1888年2月28日にリサールはアメリカ訪問の途中で日本にも立ち寄りこの日比谷にあった東京ホテルに宿泊している。2日間の滞在予定であったが貿易商の娘「おせいさん」臼井勢以子(1866年~1947年)と親しくなり滞在は2か月にも及んだ。2人は恋に落ち日本各地を旅行している当時の東京ホテル現在の日比谷交差点の道路上にあったリサールと別れたおせいさんは30歳でイギリス人と結婚されている。当時の女性としてはかなり遅い結婚、リサールが処刑された翌年に結婚している。リサールを最後まで待っていたのではないか?今回の旅ではおせいさんのお墓にも行く予定リサール像の近くにあったフィリピン第6代大統領エルピディオ・キリノ大統領キリノ大統領は戦争中日本軍に妻と子供を殺されたにも関わらず、フィリピンに収容されていた日本人戦犯105名に対し特赦を与え開放した。宮崎県から送られた「はにわ」創業明治36年ハイカラ文化が流行った時代当時の建物もおしゃれで「松本楼でカレーを食べコーヒーを飲む」ことが若者たちの間で大流行となった。明治時代流行った西洋料理や和洋折衷料理が現在も受け継がれている遊歩道に置かれていた「石貨」この巨大貨幣どうやって支払っていたのか無造作に置かれている「南極の石」盗難されないのか?「古代スカンジナビア碑」「伊達政宗終焉の地」直ぐ先には皇居(江戸城)があった公園内にはこのような池も若いカップルの散歩道公園中央には噴水、後ろには帝国ホテル日比谷公会堂日比谷公園の野外ステージ良く集会やコンサートなどテレビに登場する