娘がいない脱力感・時の流れと共に
ここ数日次女は我が家へ泊まっていました。というのもシフトの都合で体調不良の人にと代わったりして夜勤が多くなりその反面休みも続いていたからです。今回は3日間休みの間は我が家へ来ていました。もしかしたら土曜日の夜に私の誘いを断った罪滅ぼしなのかな。私は次女がいてくれると嬉しいし張り切って料理も作れます。なるべく野菜を多く栄養のあるものを食べさせてあげたいと思うから、そして次女がたくさん食べてくれると幸せな気持ちになります。 次女は昨日のお昼に友達と出掛けるため帰っていきました。私は次女をアパートへ送り着替えて支度をした次女と同じアパートの上の階に住んでいる友達も一緒に最寄り駅まで車で送って2人は電車で名古屋駅の方へ出かけていきました。私はそのままマンションへ戻ると、急に脱力感で何もやる気が出ずにこたつでゴロゴロダラダラ夜まで過ごしてしまいました。娘がいるととっても嬉しくて張り切れるのに、娘が帰ってしまい傍にいなくなった途端に脱力感で何もしたくなくなるのです。娘と一緒に過ごす時間は楽しいけれど、いなくなると急に寂しくなってしまうんです。幸いさえパパもこんな私を責めるわけでもなく「まあそういうときもあってもいいよ」と受け入れてくれるから助かります。これは母親のサガだから仕方がないのかな??それとも私が娘に依存しているのでしょうか??今までずっと2人の娘たちの存在を生き甲斐にしてきてしまったからいけなかったのかな??もうそろそろ自分の生きがいを見つければ良いかもしれませんが、習い事にもスポーツにも興味が湧かないし、仕事もした方が良いのはわかっているのにやる気が出ません。こんなままでは良くないのは充分わかっているんですが。今はボランティア活動だけが唯一のやりがいです。タラレバを言っても仕方がないけど、もしもさえりんが今も生きていたらどうだったのかな??きっと自宅を出て行くこともなかったし次女が就職して自立しても私は少しでもさえりんの将来のためにと今でもせっせと働いてお金を貯めていたように思います。親亡きあとさえりんが妹や他人に迷惑をかけずに暮らしていけるようにするためにそれが私の目標であり生き甲斐であり母親としての使命だったから。こんなに娘を溺愛し依存していたから神様は私から娘を奪ったのでしょうか??娘亡きあと私がどう生きるのかを試されているのでしょうか??だとするとこんな脱力感でダメダメな私はまだまだ修行が足りないとこの世の試練を与えられているのでしょうか??真実は神のみぞ知ることです。(さえりん2歳11カ月 岡崎市東公園part4) 昨日は晩ごはんだけは何とか思い腰をあげて作りました。なんにもしないと堕落人間になるのは嫌だから。さえパパはここ3日間次女が泊っていたのでテレビが見れなかったからなのかバラエティー番組の録画したものをたくさん見ていました。そんな中であるインタビュー番組に「ドリカム」が出ている番組を見ていました。私も隣にいてパソコンをやりながら何気なく一緒に見ることが出来て、あとで自分でもちょっと驚きましたΣ(゚Д゚)「ドリカム」はさえパパがもう30年くらい前からずっと好きなアーティストでした。私は歌は知っていましたが別のロックバンドなどが好きだったのですが、さえパパの影響で結婚してからはよく一緒にコンサートに何度も行きました。娘たちも10歳くらいからは一緒に家族でコンサート毎年のように行っていました。次女は高校生くらいから自分の好きなアーティストのライブに行くようになり私達にはついて来ませんでしたが、さえりんはずっと一緒に行っていたしカラオケでもよく歌っていたり好きになっていました。だから思い出がたくさんあるのです。実は2019年8月にも「ドリカム」のコンサートのチケットを私たちとさえりんの3人分とっていました。ところがその2ヵ月前の6月にさえりんは突然亡くなってしまい、もうコンサートなんてどうでもよくなっていました。コンサートの当日まで散々迷ってそれでも次女が「お姉ちゃんが楽しみにしていたから私がお姉ちゃんの代わりに行くから一緒に行こうよ」と言ってくれたので、さえパパと私と次女の3人でさえりんの遺影の小さいものを一緒に持って行きました。ところが行ってみたら今でも内容は全く覚えてないくらいその時はさえりんがいなくなってしまったショックでとても辛い哀しいコンサートになってしまったのです。その時から私の中で「ドリカム」は辛く哀しかったあの時の思い出が蘇るため封印しシャットダウンして避けていたのです。(2019年8月ナゴヤドームにてドリカムコンサートにさえりんの遺影と一緒に)それなのに昨日は何となくでしたがテレビ番組を見ることが出来たのです。あれから4年半経っても決して哀しみが無くなったわけではないですが、これも時の流れと共に心が変わってきたということでしょうか??それは喜ぶべきことなのか、悲しむべきことなのか、時間薬というものの作用なのかよくわかりませんが。またいつかドリカムのコンサートにも行けるようになるのかな??次女のお蔭で他の推しのコンサートには行けるようになりました。とにかく人は時の流れと共に変わってゆく生き物なんだと実感しました。生きていくということはいつまでもずーっと同じところに同じ気持ちで留まってはいられないということなのだと。そう思うと今の私の脱力感も娘がいない寂しさも抱えながらも、前に進んでいく時期に差し掛かっているのかなと思います。時の流れに任せて・・・ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館にじいろ会公式ホームページが完成しました!!よろしければ以下のリンクからご覧下さい。https://saerinsaeri.wixsite.com/aichinijiirokai