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カテゴリ:雑談アレコレ
《引用開始》・・・YOMIURI ONLINEより (2008年8月2日22時18分 読売新聞)
おそ松くん・バカボン…「ギャグの神様」赤塚不二夫さん死去 「天才バカボン」「おそ松くん」など、戦後ギャグ漫画を代表するヒット作で「ギャグの神様」と呼ばれた人気漫画家の赤塚不二夫(あかつかふじお)(本名・藤雄)さんが2日午後4時55分、肺炎のため都内の病院で死去した。72歳だった。 告別式の日時、場所は未定。喪主は長女、りえ子さん。 旧満州(中国東北部)生まれ。12歳の時に手塚治虫氏の「ロストワールド」に衝撃を受け、中学卒業後、新潟から上京。デビュー作は1956年、貸本少女漫画「嵐をこえて」。同年より、石ノ森章太郎、藤子不二雄氏らと共に東京・豊島区のアパート「トキワ荘」の住人となった。 雑誌デビューは58年「漫画王」(秋田書店)連載の「ナマちゃん」。六つ子が主人公の「おそ松くん」は、62年から「週刊少年サンデー」(小学館)に連載され、登場人物イヤミの「シェー!」の奇声とポーズ、デカパンやダヨーンなど奇人変人のキャラクターが大人気となった。 「これでいいのだ」が口癖のバカボンのパパが活躍する代表作「天才バカボン」は、67年、「週刊少年マガジン」(講談社)でスタート。また、同年から少年サンデーで始まった「もーれつア太郎」では、言葉をしゃべるネコ、ニャロメが人気を博した。その他のヒット作に「ひみつのアッコちゃん」「レッツラゴン」など。「バカボン」は3度テレビアニメ化されたほか、94年には自伝「これでいいのだ」がNHKドラマ化された。65年「おそ松くん」で小学館漫画賞。72年「天才バカボン」などで文芸春秋漫画賞。97年、日本漫画家協会文部大臣賞。98年、紫綬褒章。 97年暮れに食道がんが判明し、99年に手術で克服。2002年4月に脳内出血で倒れ、闘病生活を続けていたが、2日朝に容体が急変、危篤状態になった。最期はりえ子さんら親族にみとられて亡くなったという。 《引用終わり》 ♪西から上ったお日様が! 東に沈む~~~♪(え~、本当?) ♪これで いいのだ~ これで いいのだ~ ボンボン バカボン バカボンボン!♪ 今朝のラジオでこのニュースを知ってから、しばらくこの天才バカボンのテーマが頭の中で流れつづけました。 具合が悪いとは聞いていましたが、とうとう向こうの世界に行かれましたか・・・。合掌。 バカボンやバカボンのパパ、おそ松君などの主人公だけではなく、イヤミやケンムンパス、レレレのおじさん、おまわりさん、ニャロメ・・・ユニークな脇役が面白かった。 福岡から東京に出てきたばかりのタモリさんを住まわせ、世話した事でも有名ですよね。タモリさん、ショックだろうなァ。 まさしく、日本のギャグ漫画の礎を築いた巨匠の一人です。巨星落つ・・・。 だんだんと、昭和が遠くなります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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