相変わらず動きのない日々の暮らしだが、退屈もせずに淡々と過ごしている。最近、気づいて自分で驚いていることがある。子どもの頃から人懐っこいとか、人見知りしないとかよく言われていた。大人になってからも年長者や、世間で偉いと言われている人にも物怖しせず対応し、その生意気さがかえって珍しがられたこともあり、仕事をするうえでとても役に立った。年長者や偉い人だけでなく、性別、年齢、職業に関係なく誰とでも仲良くなれた。「社交的でいいわね」とか、「人間そのものが好きなのね」とかよく言われ、自分でもそうなのかなと思わなくもなかった。面倒見が良いと褒められ、それが生まれついての自分の性格だとも思っていた。しかし、よくよく考えてみれば、困った時に話をきいてくれ、美味しいものを食べさせてくれる人なんてそんなにいるはずもない。うまく利用されていたのかもしれない。
田舎暮らしを始めた時にこれまでの人間関係を一新して再スタートしようと思い、これまで仕事としてお付き合いのあった高齢者医療や介護の関係者ともほぼ関わらなくなり、新しい仕事としてジャム作りを始めた。そして4年ほど前から週に一度だけ都内の高齢者医療施設と介護施設のコンプライアンスアドバイザーとして働き始めた。新しい人間関係も増え、「これはこれでありかな」と思っていたら今回のコロナ騒動である。
自由に動けないというだけで心が委縮してしまいそうだが、その反面、動けないからこそ会えないことや、やれない理由に思い悩むこともなくなってきている。「こんな時だから会えないんだ」という大義名分ができたのである。そして、そのことに対して自分の心が軽くなってきたように思える。ほんとうは人懐っこくもなく、相手の顔色を見て対応するのが好きじゃなかったのかもしれないと思うようになってきている。人は自分の気持ちに余裕のある時しか人にやさしくなれない。最近は人の思惑や期待に応えるどころか、自分で自分の機嫌をとることさえ難しくなってきている。今は誰にでも“良い人”だと思われなくてもいいと開き直っている。これが「年寄りが頑固になる」ということなのかな?
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Last updated
2020.08.26 09:58:40