地球規模のコロナ禍で影響を受けたのかどうかはわからないが、高血圧と変形性膝関節症を患い、すっかり本物の高齢者の仲間入りをした。「それで人並み、年相応よ」と言われれば何の不思議もない出来事ではあるが…。独り暮らしになる前から自分の最期(終末医療やお墓)についてはよく話をしていたが、59歳で相模湖へ引っ越してきて13年になる。8年前に椅子から転落して大怪我をしたときに、覚悟を決めて死んだ後のことを書き残しておいた。それからは何年かに一度、状況の変化とともに書き改めてきたが、今年はこれまで経験したことのない新型コロナの感染拡大で、生活スタイルというか、これまでの考えや生き方そのものを覆すようなことが起きているので見直しをした。
人に語れるほど大した人生を歩んできたわけでもないので、死んでしまえばそれまでで、一刻も早く私のことは忘れてくださいと言うくらいに思っている。最終的には経済的な面と介護は自分の力量でまかなえればそれ以上望むこともない。子供や孫に残すものもほとんどないが、別に悲しいとは思っていない。ご大層に生きた証などなくても良いと思っているが、膝の痛みで動けなくなった時、死んでいなくなるだけでなく、生きていても自由に動けなくなることがあることが分かった。そんな話をしていると、ひとりの孫が「ババがいなくなったら、俺のいちばん好きなリンゴジャムが食べられなくなるよ~」と言い出した。「パソコンの中に私が作っているジャムのレシピがあるから、それを見たら自分で作れるよ」というと、「良かった。でも自分で作られかなぁ」とつぶやいた。そういえば、他の仕事はともかくジャム作りは続けてくださいと他の人からも言われている。作れなくなったら販売をやめればいいだけのことだが、小さい頃から私のジャムだけを食べて大きくなった孫たちのことを考えると、これだけは残しておきたいと思うようになった。
昨日は21歳になった大学生の孫のお誕生日のお祝いに、近所にできたレストランに行ってちょっと豪華な食事をした後、帰ってきて二人一緒にリンゴジャムを作った。とても楽しい幸せな時間だった。レシピだけでは伝わらない部分も大事なのである。「僕も作ってみるけど、おばちゃんにもしっかりと教えておいて。そうすれば安心だから」と言われた。そうだ、そうだ、後は料理好きな娘にジャムの作り方をしっかりと覚えてもらい、私がいなくなっても家族が美味しいジャムを食べられるようにしておこうと思っている今日この頃である。