写真集「信州・戸倉上山田温泉の旅」
数日前に「信州・戸倉上山田温泉の旅」写真集をいただきました。
9月27日から29日に、信州の無言館と姥捨の棚田を、50年前の同窓生たちで見てきたんです。
そのことは、私もその旅の直後にブログで紹介したんですが。
主観と客観の違いというか、同じ一つの旅なんですが、
この写真集を見ることで、また新たな側面を感じています。
一つは、信州戸倉上山田温泉「萩原館」のあたたかなおもてなしですね。
幹事が「おかみが良かったからこの宿に決めたんだ」などと、みんなに言ってたんですが。
松尾芭蕉は、確かに棚田の月を見るために、遠路、わざわざこの地まで出かけてきたわけですが。
その『更科紀行』を、読み返してみると、芭蕉が感動しているのは、もちろん月の棚田の景色ですが、それとともに、「我をなぐさめんとす」ようするに「おもてなし」の心への感謝なんですね。
「いでや月のあるじに酒ふるまわん」といえば、さかづきを持出でたり、と。
だいたい、棚田の月を見てもらうために、自然の景観を保全することを、江戸時代からして来ているんですよ。日本社会はすぐに乱開発して、リゾート別荘だとか、金儲けのため売りに出しちゃうじゃないですか。儲け、儲けが、時の人たちの神様じゃないですか。
もっと、それより大事なものがあることを、芭蕉もそうでしたが、私たちの今回の旅でも感じさせてくれたんです。おもてなしの心を。
二、それともう一つ、かつて20歳の若者だった面々は、今や70歳を越える歳になってるんですが。
不思議なんですね。外から見ると「敬老会の御一行様」なんですが、確かに外見はそうなんですが。
髪は薄くなり、健康問題の話が比重を占めるようにはなっているんですが。
それでも、かつての勝手知ったる仲ですから、だいたい心の内側がすけて見えるんですが、そこからすると、面々は昔とたいして変わらないんですね。並行して歳をとっているせいかもしれませんが、たいして昔と変わらないんです。
ということはですよ。
私たちは、えてして高齢者を爺さん婆さんと見なしがちですが、自分がその年になってみると、外見上感じているほどの隔たりというのはないということ。
ことがらの客観性は、夏目漱石でも、森鴎外でも、宮本百合子でも、又誰であっても、えてして偉人として別格に見なしがちな人たちですが。じつは、同じように外見上の姿を捨象してみると、日本の近代社会の真に民主主義的な前進とはどの様な努力によって引き寄せれるのか、そうしたことを共通して、人知れず思案していたんじゃないでしょうかね。同じ客観的な土俵の上にいて、表現の仕方こそ、それぞれ個性的ですが、共通の課題に直面していたこと。
そして、それは今の私たちが直面していることも、それもまた同じなんだと。
今回の写真集ですが、それを見て、そんなことを感じさせてくれました。