カテゴリ:最近の出来事
今日は、昨日の続きで心の再生と癒しについてもう少し書くつもりでしたが、ちょっとした出来事があってどうしてもそれを書きたくなりました。
ベリイを散歩に連れて行くのにお決まりのコースがあります。我が家の周辺を少し散歩して通りをわたると、以前雑木林だったところがあります。そこは少し坂になっているのですが、最近そこに一戸建ての家並みができて小洒落た家が立ち並ぶようになりましたが、その一角に3本だけ大きな木が切られずに残っていました。ベリイをつれて坂道を登りながらその木を眺めては夜空を仰ぐのが私のお気に入りでした。 そのお気に入りの場所でいろいろな思いをめぐらせました。困ったときには木の上に広がる夜空と星に向かって問いを発してみたり、その木の上に座る自分を想像しながら、イメージを膨らませて楽しんだりしていました。この木のある風景は私にとって生活の一部になっていたのです。 それが日曜日に同じ場所を通ったとき、なぜかその木の枝ぶりがおかしいのを感じました。どこがどう、と言われるとはっきりとはいえないのですが、何か様子というか木全体の雰囲気、様子がいつもと違うのです。何か枝ぶりがいつもよりばらばらに感じられて3本の木がばらばらにまるで喧嘩をしているように感じました。何だろう、何が違うのだろう、そのときの私は、その何かが違う、その正体がわからずにいました。でも、あまり心地よくないものを感じていました。 そして今日、同じ場所にベリイをつれて行ったとき、唖然としました。あの3本の木は何と造成をするために跡形も無くなっていたのです。そしてそのとき、はっきりとわかりました。あの木は、自分が処分されることがわかっていたのです。木自体が混乱していて、私にそれを伝えようとしていたのです。跡形もなくなった景色を見て、それを確信しました。それと同時に悲しくもなりました。いろいろな思いをめぐらせながら眺めていた3本の木、そこにはもう存在がないのです。でもふと思い出しました。日曜日、なんとなく様子がおかしいと思いながらもその木を通り過ぎるときに私は「ありがとう」と木に声をかけていたのです。いつもはそんなことはないのに、考えてみたらそれが最期のお別れになったのでした。 木と繋がる、というのは妙な話だと思われるかもしれません。しかし、植物も立派な生命体です。しかも地球に私たちよりはるか昔から住んでいた先輩でもあるのです。植物から私たちはたくさんの恵みをもらっています。光合成を通じて常に新鮮な空気を供給したり、四季折々には花を咲かせて楽しませてくれたり、果実を提供したり、植物は地球に生きる私たちを癒してくれる大事な仲間です。そんな大事な仲間と私はようやく繋がることができました。でも、それは残念なことに自ら処分されることを伝える悲しみと混乱のメッセージが私が受け取った最初のメッセージでした。しかし、これにもきっと意味があるのでしょう。 私は別に植物の声を突然聞けるようになったわけではありません。ただいつもよりなんとなく様子が違うという、感じを受けたのです。その感じとは直感です。直感というセンサーあるいは心のアンテナを通じてほんの少しですが、繋がることができたのだと思います。またそれは自分が大好きだったものだから、繋がることができたのでしょう。多分あの3本の木は私の送った波動に答えてくれたのでしょう。 この頃ふっと自分が楽しかったときのことを思い出すことがあります。そんな時きっと私はその楽しかった時間と空間、そしてそのときに一緒だった人たちと繋がっているのだな、と感じます。時は経っても場所は離れていても、そのときを一緒に過ごした大好きな仲間とは今でも繋がっているのだろうと思います。それはきっと潜在意識と言われる世界の中、あるいは私たちが持つ波動を通してなのでしょうが。 3本の木が教えてくれた貴重な体験、ちょっと悲しい出来事でしたが、あらためて感謝したいと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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