カテゴリ:最近の出来事
今日は小児科医中原利郎さんの過労死認定を支援する会の懇親会にお邪魔してきました。
今日は中原利郎さんの民事裁判の証人尋問の3回目でした。あいにく私は証人尋問には傍聴できませんでしたが、懇親会にちゃっかりお邪魔して盛り上がった雰囲気に一緒に酔わせていただきました。 私は過労死遺族のケアの会を運営しています。そしてこの会のメンバーでもある中原さん(利郎さんの奥様)の支援の会にも入っています。しかし・・・前にも書いていると思いますが、私は自分の活動が社会を変える、あるいは国の政策を変える、というところを目標にはしていません。確かに以前は、過労死遺族という体験を持った私たちが声を上げて、はじめて世間の人たちは過労死と言う問題に気づいてくれる、だから私たちはこのことを少しでも多くの人に知ってもらわなければならない、そしてそのためにも、自分たちの活動(労災申請、裁判)を続けていかなければならない、と思っていました。 これらはいずれも正論です。そして過労死の問題に関わる人のほとんどが、これらを当然として受けとめています。ただ私には、体験者である私たちが社会に訴える、と言う事の内容が、ただ自分たちの労災申請が認定されるよう助けてください、と言う単純なものである限り、それはその申請者のエゴで終わるような気がします。多くの人に知ってもらうことは大事ですが、私はこんなに不幸です、ですから過労死と認めてもらうように助けてください、では、病気で亡くなった家族はどうでしょうか、犯罪被害者の家族はどうなのでしょうか。彼らは助けてください、と訴える場もなければ、救済する行政措置も過労死のように整っていないのです。 一体私たちは社会に訴えるといっても、社会のどの部分の人に共感を持ってもらい、そしてどんな社会にしていくかということをちゃんと議論しているのでしょうか。過労死の無い社会、とよく言われますが、人が働くところには、必ず一定の組織があってストレスがまったくないということはありえません。労働つまり、働くということは、現代社会では生活の糧を得る手段でもあります。そこで働く人たちにとって、会社とは労働を提供し、交換に給料を提供してくれる存在です。そこでたまたま過労死で倒れた人がいて、その人に同情こそすれ、その家族が裁判でも起こそうものなら、「やっぱりお金が目当てなのか」、という見方をする人も多いのです。 こういったことをきちんと片付けた後ではないと、少なくとも私は自分のケースを支援してくれ、とはいえないのです。ただ、中原さんの場合は、そういったことを抜きにして、彼女を応援したい、と言う気持ちで参加しています。彼女が訴える小児科医療の問題もあります。様々な問題が彼女のケースには含まれています。このケースが解決するということは、いろいろな面での波及効果は絶大ですが、それはそれとして、私は個人的に彼女を応援しています。そして彼女の支援の会の人たちは皆さんとても素敵な方たちです。 一見矛盾しているように見えるかもしれませんが、今の私はHOW的生き方ではなく、WHYを追求しようとしていますから、過労死問題ということも、どうしたらなくなるか、というHOWではなく、そもそもなぜこういったことが問題になるのか、といったところから議論すべきだと思っています。ですので、それがあまり見えない研究会とか交流会には参加していません。それよりも、今はまだ自分の生き方に忙しい、というのが本音なのです。 とにかく今日は頑張った彼女に乾杯! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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