カテゴリ:最近考えること
自分らしく生きよう、とか私らしく生き生きと、と言うキャッチコピーはよく見かけます。偏差値一辺倒の学力重視の時代から教育現場も少しずつ変わってきて、一芸を持った人なら受け入れる、という大学も出てきました。自分の個性をしっかり見つけて、それを伸ばしていく、という方向に世間はシフトしています。最近小学生でバレー留学とかサッカー留学を斡旋する業者がいるそうです。何か世の中、みんな好きなことをやろうよ、ムードです。
でもこの好きなこと、得意なことって実は落とし穴があるのです。それは・・ 好きなことをやっていると時間を忘れます。集中もします。ですのでそれに「得意」が加わると鬼に金棒です。はっと気がつくと人よりも自分が秀でている事に気づきます。そしてますます自分の技を磨きたくなります。そのうち自分よりも上手な人がいなくなると、さらに自分の実力に近い人(人たち)を求めていくようになります。実力試験を受けに行ったり、「頼もう」といってほかの道場に行ったり(爆)、とにかく自分の実力を試したくなります。しかもそのレベルはどんどん高くなって、しまいには金メダルを目指したり、世界の頂点を見るようになります。 集中している当の本人は自分の好きなこと、得意なこと、すなわち一芸(あるいは専門分野)に邁進しているつもりでも、実は本質は、他人との競い合いです。他人と比較のしようがないと思われる分野でも、何かに没頭するということは、ほかの視点や可能性をすべて排除していくという作業です。好き、得意を追求していくことの最大の落とし穴は、本人の可能性、視点を狭めてしまうこと、そして自分に妥協が出来なくなる分、どんどん自分を変えることで解決しよう、という究極のエゴが出てきてしまうことだと思います。 宮本武蔵は剣豪として過ごしましたが、彼の残した五輪書は野球の松井選手が愛読するほど、内容が濃いものです。そこには剣豪という特殊な世界(原題だったらありえませんから・・)に生きたとはいえ、何か普遍的な生き様を残していると私たちは感じ、同感します。でも、よく考えたら、宮本武蔵は確かに剣の道を作り、極めていたけれど、周りは敵だらけでした。スポーツ選手もそうです。ひとたび頂点に上り詰めると、必ず後から追う挑戦者が敵となって自分を脅かします。芸能人だって、周りは敵です。スターのオーラがある、とか言われても、ちょっと何かの弾みで運気が弱まると散々バッシングされます。人気も落ちていきます。これが私たちが目指す生き方なのでしょうか? 私は昨日のブログにアリーナを満席にして歌うロッカーになりたかった、と書きました。音楽のビデオなどで見るあの格好いいロッカーたちは、あの一瞬の場では輝いています。しかし、人気が出れば一年の半分はバスに乗ってツアーに出なければなりません。ツアーのバスと講演会場とパーティ会場だけがローッカーの場所になりかねません。それって本当に楽しいのでしょうか。もっとリッチな芸能人がいて、毎日好きなことをして過ごしても、何だか私には片手落ちに思えます。これは、セレブでない私の僻みではなく(爆)。 何故片手落ちか?好きなこと、得意なことだけで、何故視点をせばめるか? 次回はもう少し具体的に書いていこうかな・・ 私は私を生きる・・・この言葉いま自分の座右の銘なのです。これと好き、得意に特化した生き方と次回は比べてみることにします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
April 1, 2006 01:42:55 AM
コメント(0) | コメントを書く
[最近考えること] カテゴリの最新記事
|
|