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カテゴリ:気楽な日記
今日はまったく私の主観なので中身の薄いお話です。暗記とお酒の事。
暗記はその人の基礎となる一番大切な学習だと考えています。母に乳飲み子の頃から読み聞かされた絵本の内容や、あるいは飼われていたペットの鳴き声も学習の始まりだったはず。それから成長して幼稚園、小学校、中学高校と進学していくうちに構造的に暗記させられ、それは楽しくもなんともなく受験突破のためだけに仕方なくするもの、という概念がいつのまにかできてしまったように思えます。 しかしそのつまらない、社会に出て価値のないと思えた暗記こそが思慮深く幅のある人格を育てる核となっていると思っています。何かを調べる時、あるいは違う言語を母国語とするどうしでコミュニケイションを図る時、単語の断片すらなかったらそこには無しかなく少しも前へは進めない。検索キーワードが思いつかなかったらグーグル先生にも尋ねられない。だから多くの本を読み率先して暗記に勤しめば良かったなと今は深く後悔しています。今は?。そう、私は暗記をあまりしなかった。もっとすればよかったなと、もっと多くの本を読んで来ればよかったと後悔しています。自分にはとても持ち得ない数多の先達の豊富な知識や優れた感性、そして大変貴重な経験が記されていて読めば些少なりとも我が肉となったろうになと思うから。 学生時代は楽器にはまりこみ読書はほとんどしなかった。もったいない。暇だったのに(笑)。知識があれば相手が持っている知識を引き出してさらに自分を触発させより深い知識を得ることができる。近年そのことをしばしば実感します。本を読む事と機械的に暗記をする事は無関係のようにも思いますが、そうではないと思うのです。先に書きましたが「単語がわからなければ先に進めない」のですから。坪内逍遥、二葉亭四迷、森鴎外、といった江戸生まれの明治の小説家の文章だと、言文一致体であっても私の軽い頭ではなかなか入ってきません(涙)。一頁読み進めるのに大変な時間がかかる。それはこのところ読んでいるロシアの古典でも同じで学生の頃もっと読んで歴史や多くの事を機械的でも良いから暗記をしておけば良かったなと強く思うのです。小さく断片的な言い回しや単語が脳髄のどこかにでも潜んでいたら、突如それは蘇り文章を繋いでくれたのではと思うのです。今の私は一頁進んでも理解度が不安になり二頁戻るという為体。 そんな後悔色の濃い反省をしているためか少し本は読み始めたのだけれど、進まないしあまり記憶に残っている様に感じられないのは飲酒しながらだからかも知れない、いや、やはりそのせいだと思う(笑)。学生の頃はお酒を嫌っていたので一滴も飲まなかったのだけれど、今は毎日楽しく飲んでいる。そして飲みながら読んでソファで寝落ちするというコースを自宅にいる時は毎日辿る。それは雰囲気が良いからなのです。ほろほろと酔いながら江戸や明治の時代を想像する。見たことのない土地や文化を想像する。歴史を知り偉人の哲学を知る。でもたくさん飲んでるから少ししか残っていないのがやはり残念(笑)。学生時代に読めばよかったな。覆水盆に返らず。 最後にちょっと自慢しときますが割と難関のソムリエ試験の勉強、まともにやったの半月くらいなんです。それで自己採点90点超え。それまでは点数がとても低くていつも落ち込んで泣いていて、そばで心から励ましてくれていた大恩人にいつも怒られ、いや(笑)、励ましてもらっていました。でもやりゃあできるんですよ。でもやらなかったから今の私はこんな程度なのです。暗記と読書は若いうちに、そしてその時お酒は控えめに、というところで今日は終わりにしたいと思います(笑)。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017年11月20日 17時54分11秒
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