ジャクリーン・ミチャード『青く深く沈んで』
次男を誘拐された母親が長男を愛さなかったせいで長男がぐれて、次男が発見されたあともなじめなくて家族がばらばらになる話。●あらすじプロローグ1995年11月、写真家のベスは次男のベンが行方不明になる前に撮った写真を見る。ベスは神経質な長男のヴィンセントと活発なベンは好きでなく、好きなのは末っ子のケリーだけだった。第一部1985年6月、ベスは自分より金持ちになった同級生にマウンティングするために同窓会に子供たちを連れて行くものの、ヴィンセントにベンを預けてホテルで手続きしている間に3歳のベンが行方不明になる。警察を呼んでホテルを捜索するものの見つからず、ベスは酒を飲み、夫のパットと夫の両親とべスの父親と兄弟もホテルに集まり、ベスは急に狂乱してパットの手を噛んで拘束される。ベンの運動靴が見つかったことで誘拐事件になり、身内も取調べをうけるものの、警察犬が駐車場まで臭いをたどったのでホテルにいた同級生の犯行の疑いが濃くなり、ベスはテレビに出て犯人を罵る。ベスは教会で祈り、ボランティアがチラシを配ってベンを捜索する。刑事のキャンディとベスが霊媒師と会うとベンが棺桶にいる霊視をして、子供の死体が見つかったので顔を確認するとベンではなかった。ベスは家に帰っても日常生活に戻れず、子供を亡くした親たちの同情サークルに行ってみるもののそりが合わない。1985年12月、ヴィンセントは大人たちが異常に気を使うのを見て、ベンはもう死んでいるのではないかと疑う。クリスマスに親戚たちがベンが戻ってくる希望を持ってベンのプレゼントも用意するものの、べスはそれが気に入らずに孤立し、ヴィンセントがサンタクロースにベンをほしいと打算でお願いしたらベスが泣き出して育児放棄したので、ヴィンセントがケリーのおむつを換える。ベスはマスコミを敵視していて友人のローリーが雑誌に誘拐事件を話したことが気に入らない。キャンディが気分転換にベスを買い物に連れ出すもののベスは着替えようとしない。ローリーは妊婦の写真撮影の仕事を持ってきて、ベスは相手を人間でなく単なる被写体として見れるようになって今までよりいい写真が取れるようになる。1987年10月、ヴィンセントはパットがセックスしたがってベスが拒絶する夫婦喧嘩を止めようとしてケリーの口をふさぎ、パットはヴィンセントを連れて家を出る。1990年5月、ヴィンセントはパットがベスからの電話を聞いて倒れたのを見つけて救急車を呼んで、パットは一命をとりとめる。キャンディが結婚してベスが写真を撮ることになっていたものの、ホテルで20回目の同窓会が開かれたときにベンの靴のもう片方が見つかる騒ぎがあってキャンディは披露宴に出ずに捜査していた。ヴィンセントはベスがパットを殺したがっていて、ベスがあのことを知ったら自分を殺すだろうと思う。1990年10月、ベスはパットが倉庫を改装したレストランに案内される。ベスは5ヶ月前にホテルでベンの靴が見つかったときに元彼ニックとエッチしていたことを回想する。ベスはパットが倒れたことでニックとの不倫をやめて、シカゴに帰ることにしたのだった。1991年10月、シカゴに引っ越して13歳になったヴィンセントは同級生に名前をからかわれてリースとあだ名をつけられてからはリースと名乗るようになり、同級生と下水に大量の炭酸カルシウムをいれて爆発させて、精神科医キルゴーのカウンセリングを受ける。キルゴーがヴィンセントのカウンセリングのために家族を集めると、ベンが死んだことにしたいベスとまだベンが生きている希望を持っているパットたちが対立する。ヴィンセントはキルゴーに老婆がベンを連れて行く夢を見ると打ち明ける。第二部1994年5月、ベスは芝刈りのバイトにきたサム・カラスがベンだと気づいて写真を撮ってパットに確認させ、キャンディに連絡してジョージ・カラスの家を捜査すると、カラスの妻はベスの同級生のセシルで精神病院に入院していて、ジョージは誘拐事件を知らないままサムを養子にしていたというのでサムがベンだと確定してセシルが起訴される。ヴィンセントは近所にベンに似た子供がいることを知っていたのにベスには黙っていた。ヴィンセントはサムとバスケをするものの怪我をさせてパットに怒られる。ヴィンセントはバスケのコーチから態度を注意されてチームに入れてもらえない。ベスはセシルの裁判に行くと、前はやせた女優だったのに鬱病ですっかりデブになっていた。セシルの母親のサラはセシルが流産したことを捜査員に話さなかったと証言して、弁護士ペローも初耳で弁護できなかった。キャンディは以前ミネアポリスでベンを連れているのを目撃された老婆が事件にかかわっていると感じて、セシルが中絶した子供の墓を探すためにベスと一緒に出かけて、セシルが住んでいた下宿のローズマリーを訪ねると、彼女の夫のフォックスは警察は誘拐事件について尋ねなかったといって捜査がずさんだったことが判明する。墓を調べてセシルが早産して子供が死んだことがわかり、ベスはセシルが小柄で白髪で老婆に見えることを思い出す。翌日、ベスは家族旅行で前に住んでいた家に行ったときにサムと二人で出かけてセシルについて話して、墓で写真を撮っていると墓守のホルト老人と知り合ってホルトの息子が精神病で死んだ話をしたときのサムの反応がおかしくて、ベスが問いただすとヴィンセントに嫌われているのが嫌で、セシルは病気になりたくてなったのではないと擁護する。家族の物語が儲かるので出版社に売ろうとするパットと喧嘩になり、ベスはニックとランチしてパットとサムについて相談して、ベスはニックにパットと別れたいのかと聞かれてもパット以外の何かがほしいだけで自分がほしいものがわからない。ベスは帰ってパットとセックスする。サムは夜中に家を抜け出してジョージの家で寝ていたことをヴィンセントは黙っていて、サムはジョージと暮らしたいと言って、パットとベスは口論する。ヴィンセントはサムが一週間ずつ家を行き来することになったとキルゴーに言う。キルゴーはヴィンセントが非行で注目を集められないからサムを嫌がったのだというと、ヴィンセントはベンが誘拐された日に消えろと言って手を離したことを思い出したと告白する。ヴィンセントはバスケのコーチの車を盗んで壊して酔って警察官と喧嘩して捕まって、サムがヴィンセントに会いにきて昔かくれんぼしたこと思い出したと話す。1994年9月、ベスはパットと別れることを考える。サムはジョージと暮らして週に一回だけベスとパットに会うことになる。パットはヴィンセントの更生に専念して、ベスはウィスコンシンの芸術学部の修士課程に行くことにして、子供を連れて行って親子関係をやり直そうとするものの子供を連れて行くことはパットに断られる。夜中にサムがヴィンセントに会いにきてバスケをして仲良くなる。●感想三人称で、ベス視点とヴィンセント視点を交互に展開する形式。女性作家はたいてい構成がよくないというとフェミニストに怒られるかもしれないけれど、やっぱり構成があまりよくない。これが著者の処女作のようで、ちゃんと長編を書ききるのは立派だけれど、700ページ弱あってだいぶボリュームがあるのだからそのぶん構成を練る必要があるのに、構成が未熟なせいで面白さを損ねている。まずはベスとヴィンセントの視点を書いているのにパットの視点がないことがおかしくて、構造的に父親を家族から除外してパットの考え方はベスには理解できないものとして扱うせいで家族の物語にならず、母子関係の物語に矮小化されてしまっている。母親と息子の不和は普通の家庭でもあるし、誘拐事件が起きなかったとしてもベスはニックと不倫してパットと喧嘩してただろうというような夫婦関係なので、誘拐事件をテーマにする必然性が乏しい。ベンの誘拐を書いた第一部とベンがみつかってからを書いた第二部に分かれているけれど、前半での伏線の仕込みが不十分で後半の展開はだれている。ホテルで靴が見つかった事はセシルの裁判では言及されず、セシルが子供を亡くして精神病だからしょうがないということで片付けられて靴を残していった動機がうやむやになっている。靴に関しては細かいところもおかしくて、304ページだと同窓会が行われたホテルの食堂のテーブルにベンの靴が残されていたことになっているのに、328ページでは演壇で靴が見つかったことになっている。これは原文がおかしいのか翻訳ミスなのかわからないけれど、いずれにせよ齟齬がある。精神病の誘拐犯を許すか否かという点では、誘拐された当初は120ページで「あなたは病気で、人間の心のない、唾棄すべきやつ」と敵意をむき出しにしていたのに、セシルをあっさり許していて葛藤がない。産みの親と育ての親のどちらがよいかという問題はとってつけたようなありきたりな展開。プロローグでベンが行方不明になったことをネタばれしているので、ベンの捜索シーンを書いたところでベンはすぐには見つからないんだろうと読者は先の展開が予想できてしまってサスペンスとしての緊迫感が薄れる。9章でもヴィンセントがクリスマスプレゼントにベンをほしいとお願いするつもりだと冒頭でばらしてしまっているので、実際にベスに言う場面で衝撃がなくなってしまう。オチを先に言ってしまってから蛇足のようにだらだら話すのは女性によくある欠点で、どこにプロットの伏線を仕込んでどこにタメを作ってどの場面を盛り上げるのかという演出を理解していない。シリアスな物語なのに作者が自分でネタばれして緊迫感をなくす語り方をしてしまっては台無しである。ヴィンセントがベンがいなくなったときに香水の匂いを嗅いだり、老婆がベンを連れて行く夢を見たりしたことは捜査にもプロットにも反映されておらず、思わせぶりな描写をしておいて伏線になっていない。1章で同窓会の友人たちと再開する場面ではジル、ニック、セシルとかの脇役の名前や背景情報や昔のエピソードが一気にどっちゃり出てきて、さらにベンとパットの家族もぞろぞろ出てきて、読者は名前や肩書きを覚えきれない。こういう情報の詰め込みすぎは同窓会ネタで起きがちな欠点だけれど、一気に全員のエピソードを出すと登場人物の印象が薄れるので、物語と絡める形で段階的にエピソードを出すなりして脇役の存在感を印象付けて、ひとつの場面に情報を詰め込み過ぎないように情報量を調整したほうがよい。たとえば同級生の犯行の疑いが出た時点でだれが犯人なのか推理しつつ過去のエピソードを回想するというやり方もある。我慢できずに最初に手札を全部公開してしまうのは素人くさいやり方。説明文で全部説明してしまわないで、会話にあてこすりを混ぜたりして人間関係に含みを持たせて主人公はあいつとは過去に何かあって仲が悪いのかなと読者が推測できる余地を持たせるほうが小説としては面白みが出るけれど、そういう読者との駆け引きがない。人物造詣の点ではベスが自分勝手で欠点だらけで、ヴィンセントもかわいげがない子供で、魅力がない登場人物を延々と見せられてもしんどい。女性のマウンティングの心理や3人の子供の中で長女だけが好きだという母親の心理や元彼とつきあったら別の人生だったかもと思って不倫する心理を書いているあたりは女性作家らしいと好意的に見ることもできる。しかし主人公に魅力がないのは読者を選ぶやり方で、子供を誘拐されて落ち込んでいるアテクシに共感しないやつはみんな敵というベスの態度だと読者さえも共感できずに敵になってしまう。欠点がある登場人物を主人公にするならせめて困難を経て成長する様子を描くなりしてほしい。プロローグでベスがケリーだけが好きだと言っていたのにケリーは家族との絡みがほとんどなくて存在感がない。主要登場人物の一覧に書かれているベスの兄弟のポールとビッグに至っては主要登場人物どころかいなくてもいいレベル。誘拐事件の被害者としての心理もおかしくて、警察が同級生の犯行を疑ったのにベスが同級生を疑うそぶりがなく、自分に恨みを持つ人を思い出そうともせず、ベンの捜索も他人任せで、関係者は無能ぞろいかというくらいぼんやりしていて不自然。ベスはベンが見つかった後になってセシルが白髪だったことを思い出すけれど、思い出すのが遅すぎてミステリーになっておらず辻褄あわせの蛇足になっている。誘拐事件が起きても犯人探しのサスペンスにならずにうんこビッチ化したベスが全方位を敵にして暴れまくる変な展開になっていて、事件の真相解明への好奇心よりも技術的に下手で誘拐と結婚と親子関係のどのテーマを書きたいのか焦点が定まっていない小説を読まされるストレスのほうが勝ってしまって、半分も読まないうちに私の中の海原雄山がこの小説を作ったのは誰だあっと怒ってしまった。処女作だから下手なのはしょうがないとなんとか雄山をなだめて我慢して最後まで読んでも、ベスが何をしたかったのか、ベスが求めていた幸せはなんだったのかという本質を書かずオチがないまま終わっていて、ついに雄山もさじをなげてしまった。ベスの子育て失敗に対する救済がなくて、アメリカ人は離婚するべくして離婚するという現状を追認するだけの話になっていて、わがままに生きたいんだったら最初から結婚しなきゃいいんじゃねーのとあきれてしまう。★★☆☆☆【中古】 青く深く沈んで 新潮文庫/ジャクリーン・ミチャード(著者),長野きよみ(訳者) 【中古】afb