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2019年07月27日
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カテゴリ:肘折系

こけしの呪力と呪能-佐藤佑介と柳沢英子のこけし

 こけし用語辞典【呪力】(2019722)で呪力について、私見を述べたがすでに橋本正明が【呪能】として詳細な説明があった。呪能とは呪力を得る(与える)能力のこと。呪力と呪能はほぼ同義と考えていい。呪力とはまた魅せる力である。それが「魅力」である。

 ところで「呪能」とは白川静による造語である。白川静によれば「漢字には文字が生まれる以前の悠遠なことばの時代の記憶がある」。特に文字がもつ本来の「力」とか「命」というものを想定し、それを「呪能(じゅのう)」と呼んだ。呪能とは人間が文字にこめた原初のはたらきのこと。呪能とは呪うとはかぎらない。祝うこと、念じること、どこかへ行くこと、何かを探すこと、出来事がおこるだろうということ、それらが文字自身の力で果たそうとしているのが、文字の呪能である。

 各種の辞書には「呪力」はあっても「呪能」の語はないので、呪能というより呪力と考えてもいいだろう。ただし「玉造部」の解説中に「古代の玉は呪能をもつと考えられ」日本大百科全書(ニッポニカ)とある。また「(隼人は)《日本書紀》では刺領布(さしひれ)とされるが,領布も訶理()すなわち剣も鎮魂の呪具にちなむもので、隼人が強力な邪霊鎮魂の呪能を持つ部族と考えられていたことを示している。」(世界大百科事典)として「呪能」の語がないわけではない。

 橋本正明は「復元に期待するのは、実は様式の復元ではなく、「呪能」の復元なのであるが、様式の復元の成功例に比べると「呪能」の復元の成功は稀有である。」という。確かにその希有な例が芳蔵による岩本善吉の復元であり、巳之助による周助の復元であったといえよう。

 肘折系は戦後も、横山政五郎、鈴木幸之助、中島正など永く呪力のあるこけしが多かった。現在唯一肘折在住の鈴木征一工人には、残念ながら呪力はほとんど感じられない。かつての肘折のような辺境の地が、こけしには必要なのかも知れない。それは岩手の湯田にもいえることで、丑蔵から呪能を受け継いだ小林英一、小林定雄、さらにそれを受け継いだ佐藤佑介も、こけしの辺境である北海道にあって呪力のあるこけしを作りつづけていた。

 定雄の次女の小林英子(柳沢)も稚拙ながら呪力を失っていない。

 呪力の系統からいえば佐藤丑蔵も佐藤文吉も確かに肘折系である。

 佐藤佑介12.5㎝・19㎝、柳沢英子19㎝(松田ひろむ蔵)


木人子閑話(21)文字の呪能とこけしの呪能

(前略)一般に古いこけしがいいというのは、古いこけし、古い年代に作られたこけしの方が「こけしの呪能」を持っているものが多いためである。

 何故古いものの方が「こけしの呪能」を持っているのか、それはそれを作った工人が、こけしを買う湯治客が必要としていた「こけしの呪能」というものを、同じ宇宙観を共有するものとして知っていたからだ。これは大正末年頃までの話である。

昭和になって、こけしを求める人が大人の蒐集家に変わっても、一部の工人達はしばらくの間は人生の大部分の期間作り続けた「呪能」を秘めたこけしを作っていたが、次第に大人の観賞用に変わるにつれて余計な「呪能」は消し去っていった。特に観光土産として買う行楽客には「呪能」のない、人畜無害化したこけしの方が好まれたのである。

 しかし、大正以前からの長い休業期間を経てこけし製作を再開した作者には、その復活の初期の時期に「こけしの呪能」を持ったものを作ることがあった。彼らは「呪能」をもったもの以外のこけしを知らなかったからである。昭和十年代の土湯系佐久間由吉、米吉、粂松、七郎兄弟の復活はその典型的な例であって、それゆえこれを「土湯のルネッサンス」と呼んだのである。

 今日の工人達が先人のこけしを研究して行なう復元に期待するのは、実は様式の復元ではなく、「呪能」の復元なのであるが、様式の復元の成功例に比べると「呪能」の復元の成功は稀有である。

 それでは「呪能」を持つものと持たないものはどうしてわかるかというと、これは一目瞭然なのだが、これが見える人と、見えない人がいるらしい。見えない人に説明するとき、中屋氏の五七五七七でこじつけの説明を行なったり、年代変化の説明をやって見せて、「これは何年作の何々時代のものだから良い」などといったりする。ただあまりこれをやると、時代ばかり気にしたり、瑣末な特徴を議論して、こけしそのものを見ない人が出てくる。つまり作品を見てその作者がいいこけしを作った時代のものだという鑑定は出来ても、何がいいのかはわからないという人が増えてくる。こうした説明は、いいか・いけないかの判断がまずあって、その理由付けには使えるが、この論理から逆にいい・いけないの判断をしようというのは所詮無理な話なのである。

 昔の話だが、新進の女流ピアニストの演奏会を聴きに行ったことがある、モーツアルトのピアノ協奏曲22番だったと思う。まだはたち(二十歳)そこそこの彼女は日の燦燦と照る川の土手を二頭立ての馬車で駆け抜けるように軽やかにこの曲を弾いた。しかもまるで影が無く。こけしで言えば初心の作と言うべきもので、それはそれで魅力はあるのだが、モーツアルトの影の味わいは無かった。古いピアニストでは、例えばクララハスキルは、この影の部分を残り少ない命をいとおしむかのように切々と弾いた。哀切極まりない演奏だった。また本来はベートーベン弾きだったバックハウスが晩年モーツアルトを演奏したときは、渺々たる枯野の中を一人で突き進むように弾いた。孤独が身に沁みるようだった。

こけしにもそういう影の部分があって、多分それはこけしが引きずっている呪能というものと結びついているのであろう。そしてその影にこけしを作る工人の生き様が彩を与える。周助には周助の、治助には治助の影が有るのである。

その影を如何に味わうか、これがこけしを見る醍醐味なのであって、それさえ堪能できれば制作年代や形態描彩の良し悪しなどは二義的なものだ。(​木人子閑話(21)文字の呪能とこけしの呪能)

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最終更新日  2019年07月28日 04時21分08秒
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