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テーマ:こけし探訪(85)
カテゴリ:津軽系
「木の花」連載の北村勝史「戦後の佳作」その16<今晃>は盛秀へのアンチテーゼとして取り上げられている。 北村勝史は津軽系について「津軽系のこけしの見所或いは生命は 何処にあるのであろうか。私の個人的意見は第一に他の系統には見られぬ、あの生の、ギヨッとさせる表情。第二に轆轤線のみ又超稚拙な胴模様を伴った全く粗野なる木地。この二点につきる。呪術的、無気味、陰欝、とにかく取付にくい味ではある。しかし生の表情の持つ力は凄まじい。こけしだけに趣味を持つ 人にはその味は理解できまい。最少限の装飾にとどめた木地は「木」の暖かさを手に伝える。民俗芸術品の中ではこけしの力は弱い。その中にあって津軽のこけしは別格であり、近い将来高い評価が与えられることになろう。」と評価する。 しかし、昭和8年、もっと厳しい見方をすれば昭和2年ごろまでで津軽系の良さは無くなってしまったという。 「当時の温湯の盛秀、大鰐で島津型を作った辰雄を中心とする工人達である。幸兵衛、伊太郎、権三郎、福太郎等は未期を飾った人々である。殊に正末昭初の島津型は力感において温湯を凌いでいた。昭和九年を過ぎると、いずれも急速に近代化が進み、木地は細く、摘(ママ)彩は甘美の一途を 迪り、力感は消滅してゆく。辰雄の表情だけが十年代まで余韻を残す。それとて比較にはならない。傑作を生んだ正末昭初において、 島津型の工人にしろ温湯の工人にしろ、皆一様に凄まじい生の表情を描いたことに驚異を感ずる。」と津軽系の衰退を嘆く。 当時の津軽系の「こけし達は商品として一般受けする要素は持ち会わせていない。弘前を中心とする地域の風土性がなせる法なのであろうか。又この地域の人々は あのように生の味を自然に受容する体質を持ち合わせているのであろうか。昔からおしらさまや山の神等民俗信仰の盛んな地域であり、 呪術的神秘感が漂う環境にあることも事実である。」と、土俗的呪術的な(私のいう呪力・呪能)津軽のこけしがその地域に受け入れられていたことも指摘する。 そして「昨今の津軽系こけしの人気は完全に温湯の盛秀系のぺースである。何処にその見所があるのだろう。郷愁を感ずるアイヌ模様、細くスマートなスタィル、ちょっぴり色気を感ずる胸のふくらみ、 愁いをもった瞳。現代感覚にマッチして いるというなら創作こけしの方が優れている。見所ではなくどうやら名声と寡作 に人気の的があるようだ。「島津型を見直せ」なんていうと気でも狂ったかと白い眼で見られそうな凄じさである。「島津型」と言っても判らぬ人も多いが。」と指摘する。この指摘には全く同感である。 同じ号に矢内謙次が「島津型のこけし(二)」を書いていることも興味深い。 盛秀の異常に長い睫毛や、垂れ下がった眉など下品で媚びたいやらしさがあるだけである。しかも昨年(2018年)訪れた温湯では町中が盛秀のこけしの画で埋め尽くされているかのようであった。ただそうした「堕落」は、北村勝史の指摘から容易に演繹されるように、それはそれを受容する側(現代のわれわれ)にも問題があるということになる。 北村勝史はそれに対比する今晃をクローズアップしたのである。 その期待にその後の今晃は応えていると私は思う。北村勝史の現況はご存知あげないが、ご健在であれば、今晃をさらに高く評価されることであろう。 画像は今晃の多彩なこけし(松田ひろむ蔵、主に今晃ファンクラブ頒布品)
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最終更新日
2019年12月29日 22時34分47秒
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