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テーマ:伝統こけしの魅力(99)
カテゴリ:鳴子系
重量感たっぷり後藤善松29㎝戦前作このたび重量感たっぷりの後藤善松29㎝がやってきた。無銘ながら「後藤善松」との書き込みがあり、胴模様の旭菊と正面菊の描き方から善松で間違いないものだろう。太い胴が安定感を与えている。胴は直胴でこれは善松としては珍しい。胴と頭部の一部にやや水濡れの跡があるのが惜しい。
鳴子系といっても、固着しているのか頭は動かない。 胴裏に阪神タイガーズのようにHTを組み合わせた蔵印がある。この蔵印はこれだけでなく比較的戦前作によく見られる。これは誰のものだろうか。いちおう名のある収集家と思われるが、諸賢のご教示をいただければありがたい。 〔人物〕大正5年11月1日、宮城県玉造郡鳴子湯元の後藤徳治、さだよの長男に生まれた。鳴子青年学校を4年で修了後、昭和7年17歳より岡崎斉の弟子となり、6年間木地の指導を受けた。昭和12年より15年まで北海道上戸別・米沢・仙台・鎌先・松島・陸前赤倉において木地あるいは他の仕事に就いて働いた。昭和15年正月健康を害して鳴子に戻り、玩具などを作るようになった。 斉のもとで修業した当時は挽き方専門で描彩は習わなかったが、独立してから見取りて描彩を始めた。影響をうけたのは高橋盛、大沼竹雄等からである。 〈こけしと作者〉により紹介され〈鴻・第5号〉で頒布された。その後は酒を好んであまり仕事はしなかったという。 昭和37年5月10日東京にて没した。行年47歳。 〔作品〕昭和14年頃の作は胴の太い肩の高いこけしで、〈こけしと作者〉〈古計志加々美〉に紹介されている。昭和15年、再開後の作は眼点の比較的大きいこけしてあったが、筆はよく走っていた。この時期の作例は〈鴻・第5号〉に掲載されている。肩は高く、高橋盛式の大きな菊を二つ描き、花弁の描法にくせがある。 戦後はほとんど作らず、たまに材料があるときにはごく小寸の豆こけしを挽いた。1cmほどの極小豆こけしは昭和30年ころ作られ、3cmほどの作は昭和37年ころたつみで多量に頒けられた。(KokeshiWiki) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020年02月12日 00時42分42秒
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