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カテゴリ:航海日誌
小峰さんを探したけど、どこにも写ってない。 顕正新聞編集長を更迭されたのに、人事発表もない。 このまま闇に葬る気で居るんでしょうね。 やることが本当にセコイのが顕正会淺井昭衛です。 顕正会の信仰をすると淺井副婦人部長のように離婚、×一の称号が尽きます。 一家和楽の信心など夢の又夢。 大石寺三兄弟の信仰て、どこも一家不和になるて本当だけど、自教団だけは例外てことはないからね。 自分達の信仰も同類で当てはまる。 本仏日蓮という大石寺系信仰全てが一家不和はある。 法華講員が偽本尊を拝む害毒と羅列している項目が、法華講も例外なく当てはまる。 これって、偽本尊を拝んでいる害毒となる。w まさにブーメラン。 参照 Re:更新情報&コメントレス(02/17) 浅井智慧ゾ〜 さん >信仰に役職もなにもないのである。 こんなのは凡夫が決めた見栄でしかない。 H講員さんだけでなくK正会員にも提案です、 勧誘勧誘でいつもハッパをかけられるばかりの偉いさんに 一度くらい「お前は何人今月勧誘したんだ!」って言いませんか。 恐らく、個人の勧誘は一人もいないと思いますけどね。 特にメタボさんとか、富士山の近くの生き仏さんとか、誰かハッパを掛けてあげて。 淺井昭衛さんがいままでに折伏したて話は聞いたことがないですよ。 日蓮正宗信徒時代も折伏したという話は、いくら調査してもない。 淺井昭衛の折伏で入信、入会したと云う人が居ない。 ミイラになりかけている自称生き仏も折伏したて話は聞いたことがない。 組織の上の人間はハッパを掛けるだけですからね。 正宗の折伏推進部長も折伏したて話は聞いたことがない。 お手本を見せるべき折伏推進部長は、お手本を見せるのは口先で檄を飛ばすだけ。 実際に役に立つかと言えば立たない。空論でしかない。 もし、檄を飛ばした人の言うことが空論でなければ結果を自分自身で出しているでしょ。 日蓮信仰など所詮、そんなもんですよ。 Re:更新情報&コメントレス(02/17) 次男坊 さん 初めまして!いつもブログ楽しく読ませていただいています。 私は3兄弟の内、次男の(笑)創価君でした。親がまだ頑固に洗脳されているので、脱会まではしていませんが、心はもう冷めて、神社・仏閣巡りを楽しみ、謗法ライフを満喫しています(笑) 3兄弟って表現が好きです。というのも、学会員と顕正会員、そして法華講員の方って発するオーラが同族なんですね(笑)電車の車内とか、人間観察してこの人学会員ポイって予想すると、そのうち大白蓮華・政狂新聞広げはじめてやっぱりねていうことが多いです。 学校でこの子何か持ってるなってビビッと感じていたら、仲良くなってきたところで、何かのお誘いが、→ 顕正会キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!! って感じのことが多いんです。 今は貶し合っている3兄弟、でもやっぱり兄弟なんです。多少個性が違っても根が大石寺ってとこですね。 これからも爽快な記事楽しみにしております。よろしくお願いいたします。 大石寺三兄弟のオーラーはみんな同族て良くわかります。w 同類だから相手を憎む。近親造悪ですね。 まさに、大石寺三兄弟て近親造悪でいがみ合ってる集団ですよ。w 神社、仏閣めぐりは良いことです。 ちゃんとした場所に行けば、空気が違うのが分かりますよ。 すがすがしいというか、どんよりまとわりつく、日蓮信仰とは大違い。 建物を見ても歴史があり、美術画とか見ても凄い。 それを考えると大石寺三兄弟の所はなにもない。 あるのは、欲望だけ。 >電車の車内とか、人間観察してこの人学会員ポイって予想すると、そのうち大白蓮華・政狂新聞広げはじめてやっぱりねていうことが多いです。 これはありますね。 学会員は遭遇したことはよくあります。 法華講員と顕正会員は、遭遇したことはないです。 それっぽいのはいますが、機関誌を広げる人間が居ない。 でも、学会員は良くいる。 この違いってなんなんだろうと思います。 Re[1]:更新情報&コメントレス(02/17) 雲羽百三 さん 浅井智慧ゾ〜さん ----- こんばんは。因みに、ケンショーネタで失礼します。 武闘派:「ああッ!?オレのことはどーでもいーんだよっ!ああッ!?オメーがどんだけセンセーの御心に応えられるかって聞いてんだよー!ああッ!?オメーはよー、今から爆発しなきゃ罪障消滅できねーんだよっ、ああっ!?分かってんのか!?……【以下略】」 屁理屈派:「智慧ゾ〜くん、ボクのことはどうでもいいんだよ。それより、キミが今どれだけ先生の御心に応えられるかってことなんだよね?分かる?これはつまりね、過去世からのね、キミの罪障がね、どれだけ消滅できるかっていうことであって……【以下略】」 適当派:「とりあえず、4〜5人ってところかな(ウソ)。だからさ、キミも俺と同じように5人くらい頑張ってよ」 自分がいた所:「(支隊長)俺は1人で、I班長が1人、K支隊長は3人できたっていうから、キミも1人くらいできないかい?」(……正論だってもんで口答えできませんでしたw) ≧(´▽`)≦アハハハ 一人ぐらいできないかと言われたら、御本尊様がまだ早いからと決定させてくれませんでした。 でOKでしょ。w 日頃、御本尊様のお力とか言っていて、自分の力で折伏したてすり替わって居るんですからね。 >過去世からのね、キミの罪障がね、どれだけ消滅できるかっていうことであって よく言う言葉ですよね。 それなのに、入会一月も経ってない人が、成仏できた。 その間に罪障消滅出来ているのかよと言いたい。 そう言うときだけ積んだ罪障は無視しちゃってる顕正会員手てやはりアホですね。 さてさて、巫女さんウオッチライフを満喫していますか?w 府中の大國魂神社。飯田橋の東京大神宮の巫女さんはいいですよ。w 癒されます。 ところで、体調の方はどうですか? 大石寺信仰を離れたら快調になったという、功徳体験を聞きたいですね。w 創価新報2017年2月15日号で「法華経入門、女子部教学室」てのがあり、薬王菩薩本第23が掲載されていた。 どれどれと読んでみたら、あ!都合の悪い部分は掲載してない。 阿弥陀如来の部分は完全スルー。 広宣流布の付嘱にしてもスルー。 大石寺三兄弟の常套手段。 こんな不正直なことをしていて、日蓮信仰をしていると正直て言葉を忘れてしまうんでしょうね。 日蓮さん自身、不正直の人でしたからね。 さて創価新報の記事で気になる部分があった。 ------- 【華ちゃん】最高の「智慧」は御本尊への信心であり、唱題だよ。私たちは、この信心で世界中を照らすことが出来るだ。 「薬王品」が教えている正法のために身を捧げる信心というのは、私たちに置き換えれば、学会と共に、師弟の近いを胸に、どこまでも生き抜くことと言えるね。 ------------ なんで、組織信仰にシフトさせようとするんだかね。 組織集まりは、信仰の対象でもなんでもない。 「智慧」は御本尊への信心て、智慧ではないでしょ。 智慧とは物事の本質を見る力と言えるかな。 正しく本質を見る。だから立派な師匠だとか色衣で着飾っている人の中身を見抜けないのだから、智慧があるではなく、無知て方になるでしょ。 日蓮本仏信仰をしているのは無知てなります。 筆者自身自覚したからね。すげぇ~無知だった。 こんな嘘つきで増上慢が仏なわけないジャンとね。 唱題て、南無阿弥陀仏と仏の名を唱えよとは、経文にある。 だが、題目を唱えろとは経文に無い邪義。 それに10回ぐらい名前を呼ばれたらうるさい。うっとおしいてなるでしょ。 それを5分も唱題されたら、いい加減にしろと怒りたくも成るんじゃない。w そして「薬王品が教えている正法のために身を捧げる信心というのは」そのまま、経文のように読めばいい。 身を捧げる事である。 それを現代風に置き換える必要はない。 「私たちに置き換えれば、学会と共に、師弟の近いを胸に、どこまでも生き抜くことと言えるね。」て、学会と言う組織、入れ物と共にいる必要はない。 いれものなど、集まる場所。 同じ信仰をして、励まし合い、助け合う場所程度で十分。 それ以上でもそれ以下でもない。 法話を聞く場所。教えを聞く場所でもあるけど、教えがないからね。 そして師弟の近いてのも無いだろう。 師弟といっても所詮は、一時的なこと。 成仏したら、師匠、弟子て関係はないからね。 でもさ、ダメ師匠。作られた英雄の師匠に付き従うてのも愚かだよ。 まして、凡夫を師と崇めるのはどうかね? 信徒は信徒、仮の師弟でもいいけど、あくまで仮だよ。 仏道修行する意味では、在家は在家。 師にはなれない。 さいていでも、出家していなければダメ。 御書根本の学会なら、御書に在家が師匠になれると書いてある? 供養を受け取れるて書いてある? 仏の教えを伝え広める出家者があくまでも、師であり、それでも仮の師だからね。 本師となると仏になるけど、在家は在家。 在家が永遠の師匠てのもあり得ない。 永遠の師匠て師匠も死ぬ。 師匠となるのは仏の教え。 あ!ごめん、ごめん。 創価学会は仏教の教えではなかったよね。 それなら師匠がうんたらかんたらは、ご自由にどうぞだ。 え!仏教だ! 日蓮仏教だとか言うんだろうけど、御書を根本にしてないから却下。 謗法者の頸を切って由比ヶ浜に晒しましょう。 御書根本ならね。 そして公明党も推進するだろう、テロ特殊法の共謀罪。 顕正会も創価学会も適応団体になる。 え!成らないって。 違法行為を集団でして居るのは事実だから、当てはまるんじゃないの。 自分達が正義だからなにをしてもいいってことにはならない。 正義とは主観であり、見る側の視点でいくらでも正義はある。 正義は正しいから勝つ! てのも、仏教ではないからね。 サイコ教祖日蓮さんが言っているのなら尚更だ。 正義が必ず勝つのなら、阿修羅王は梵天になぜ負けたのでしょうか? 阿修羅王は正義の神。梵天は力の神。 ということで、正義が必ず勝つのではなく、悪乃至力業で勝つてこと。 にほんブログ村 「自灯明・法灯明」 「願わくはこの功徳を以って普く一切に及ぼし、 我らと衆生とともに仏道を成ぜんことを」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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