★「恋は微笑む」(11) (1~10)から読んでね。
★小説「恋は微笑む}(11) 金子みすずは帰ったふりをして、女子ロッカー室に忍んでいた。 おスギたちには、小さな同窓会があるから、もうしばらくしてから出ると言った。 本を読みながら、(ある時)が来るのを待っていた。 自分でも驚いている。こんなことをしでかすような女ではない。 おスギのようにはじける女ではないし、ミカのように清純でもない。 一番に、手を上げるタイプでもない。 しかしなぜ、ここにいるのだろう。ただの好奇心なのか、それとも魔がさしただけなのだろうか。 まるでアメーバがうごめいているような、居心地の悪い好奇心。 そんな得体の知れない生きものと戦いながら、みすずはひそんでいた。 午後七時を過ぎて、センターに戻ってきた男性営業員たちも帰り始めた。 話し声と靴音が、巨大倉庫にこだましている。 こうして耳をすましていると、まるでホラーの世界におかれているようだ。 もう三十分待っていると、まったく声がしなくなった。みんな帰宅してしまったのだ。 いたずらを企んで、ほくそ笑んでいる子供のような心境で、静かに待っていた。 ロッカー室を出て、オフィスに向かった。 今度は、彼女の足音だけが響いている。 自分の出す声を聞いて、自分で恐がっていた。 階段をゆっくりと上がってゆく。落ち着け、落ち着けと呪文をとなえた。 足音をたてないために、靴を脱いだ。それでも小さな音がしている。 真ん中にガラスがはめ込まれたドアが見えて、首をのばして中をのぞいた。 荻原と岸田の声だけが聞こえてくる。 いつも二人は、一番最後まで残っていた。その前は所長が一番最後まで残っていた。 岸田は電話をしているようだ。荻原はその横に立っている。 所長のデスクに座って、岸田の様子を眺めていた。 長身の二人は、まるで百貨店のマネキンのように、姿勢がよかった。 その長い手足を組んでいる。「うまくいっています。任せてください」「予定どおりです」「それより、縁談の方はすすめてくださっていますか? あ、はい、そうですか」「期待して下さい。三隅部長」「大丈夫ですよ。完璧です。順調ですよ。あと一ヵ月で、目標は達成です」「あと二人ですか? 一ヵ月ではムリですよ。準備が肝心なんですから。じゃ、あと二ヵ月下さい。それならご希望にそえるかもしれません」(縁談?)(やっぱり岸田さんって東京に恋人いるの?)(やっぱりミカのことは遊びだったの?)「はい、はい。では、一ヵ月後に東京で」 岸田は、電話をおいた。 カチャリという音も、こんな静かな場所では不気味に聞こえる。「岸田。部長はなんて?」「縁談のことは、万事オッケーだってさ。俺たちが、任務を果たせばすべてが手に入る」「まさか、あと二人っていうのは?」「それは時間がないっていっておいたよ。あと二ヵ月はないと無理だ。しかし延ばしたりしたら、怪しまれる可能性があるだろう」「いや、わからないさ。誰も俺たちのことを知らない」「そうだな。荻原、ビビンなよ。これからが本番だ。俺達が、どうしてこんな田舎にきたのかよく考えてみろよ」「わかってるさ」「お前は甘チャンだから、心配だよ。それはお前の家系か? お前のオヤジさんだって、いいところで出世コースから転落してしまった。もっと真剣にやれ。やる時やらなきゃ、同じだぞ」「頑張れば、五十代で取締役。そして社長だって夢じゃない。な、荻原。俺達は若い。トップにたつにふさわしい学歴だってある」「俺はお前とは違う」「荻原。一人だけイイコになるのはよせ。入社したときに誓ったじゃないか。頑張ろうぜ。二人で頂点をめざそう。本社のやつを見返そうぜ」(この二人っていったい?)「ここまで、順調にやってきたんだ。あと少しだ。あと一ヵ月で、任務を遂行できる。最後までやりぬこうぜ、荻原」「岸田。お前はすぐにやりすぎる。やりすぎは危険だ。本社に戻れなくなるぞ」「わかった。わかったよ。肝に命じておくよ。なら、お前ももっと徹底的にやれよ。やらないなら、負け犬になっちまうぞ」 みすずは鼻がむずがゆくなるのを我慢して、またそろそろと階段を降り始めた。 彼らはただ、ヘルプに来ただけではないようだ。 もっと早く気づくべきだった。わざわざ東京本社のエリートがこんな地方の営業所に、二人も来るわけがない。 何かもっともな理由があるはずだ。「ヤッホー。金子みすずよ。お元気ですか? お久しぶりだけど、ちょっと聞きたいことがあって、電話したの。ごめんね」 みすずは思うところあって、入社式で知合った斎藤宏美で電話をしてみた。時折、メールを交換してきた。一度東京に遊びにおいでと、気軽に誘ってくれたのも彼女だった。 たぶん、社交辞令だろうとは思っていた。東京娘らしい、ノリのよさで言ったのだろう。「本当、久しぶりじゃない。入社式で右隣に座ったときからの、メル友だったよね。電話をかけてくるなんて、一体どうしたの?」「それが、あたしにとって大事件で」「はー?」「ところで、斉藤さん、岸田っていう人知ってる? 東京の本社の人なんだけど」「岸田ね。どこかで聞いたことがあるわね。若い人? それともオジさん」「若い人よ。あなたオヤジ以外は詳しいって言ってたでしょ?」「そうね。岸田、岸田。思い出しそうなんだけど」「じゃあ、荻原っていう人は?」「あ、知ってる。国際事業部の人よね。結構いい男だってウワサがあったのよ。でも無愛想なんだって。仕事の話しかしないって聞いたけど」「その人結婚してる? それとも独身?」「どうかな。結婚したってウワサは聞かないけど。あたしが知らないだけかもしれない。最近特別チームにいるっていうのは聞いたわ」「特別チーム?」「よく知らないわ。もっとよく知りたいんなら、聞いておいてあげる」「お願いします。で、上原っていう人は?」「あ、そういえばその人女子社員が選ぶミスターオフィスに選ばれたんじゃなかったかな。あれ、違ったかな。いったいどうしたの? 岸田さんと荻原さんと上原さんって人が、どうかしたの?」「今、来てるのよ。うちの営業所に。地方の配送センターにね。だからどういう人かと思って。かっこいいから」「フーン、そうなんだ。つまみ食いされないように気をつけなよ。東京の男なんて、よく遊ぶからね。あたしも地方出身だからいうのよ」「別に、どうでもいいんだけど。岸田さんが婚約してるんじゃないかって聞いたから。岸田さんはあたしの親友とつき合ってるみたいなの。だから心配で」「ま、調べておいてあげるわよ」「ありがとう」「任せて」 繁忙期の営業所の応援に、なぜ人事部のエリートが来たのだろう? やはり不思議に思った。みすずは彼らに不審を抱いていた。 斉藤からの連絡が待遠しい。しかし、二人の真実を知りたくないような気もする。 これ以上失望させられないように、二人には早く東京に帰ってほしいと思った。