東国原宮崎県知事の国政転身の話題が踊る。いや暴走している。圧倒的な支持をもって知事になられた方であり、毀誉褒貶に富む生き方をとやかく言うよりも、東国原さんがふるさとである宮崎県民に何かを行ってくれるのではという期待が生じて、異色な経歴を乗り越えて是認されたのだと思っている。どうしても芸能界やテレビに出ている人の知名度が選挙では頼りにされるのであり、その方が従来からのその人の姿と違った真摯な決意を伝えられれば、多くはそれでいいとされるのである。でも、何かそこから先に向かう道のりに、有権者の思惑と違ったものが出てきたりすると大変である。このタイミングならと思える時には、急激にありとあらゆるものが扱いやすいネタの宝庫として叩きまくられる。限度はなく人としての不適格さまでが流布されるのである。公人だからという理由をもってである。公人であろうとも私的な時間を過ごすことは否定されていないにもかかわらず、平然と報道の自己都合に合わせよ、答えよとわざと言ってくることに怒りを持って答えること自体がネタにされるのも日常である。イタリアで開催されているサミットでのファーストレディのエスコート役をつとめるマーラ・カルファーニャさんも持ち上げられたり、突き落とされたりのシーソーの中にいるようである。さもありなんと。
個人の攻撃を行うことはよくあることだが、現状の国政と知事の奇妙な対話劇はいったいなんだろうか。双方のうち、特に安定を欠いた側に対しては、ここぞと立場の強化を図るために選挙の協力あるいは非協力という握手と棍棒の両方を握っているかのように、安定したパワーの立場にいるサイドからの揺さぶりが行われるのである。どうしてもこの権力間のパワーゲームの当事者達がおこなう姿そのものが、当事者達のやりとりがクローズアップされ続け、次第に有権者の意識から遠のいてしまっている状況が気がつかないうちに生じているのである。いったい全体、国会だけでなく知事まで巻き込んで、何をやっているのと。(画像はイタリアのカルファーニャ大臣、ご本人のHPより)