TACがABCを上回るのはおかしいではないか。理屈からみてそうなのだが、実際はやってくる資源量の把握はサンプル採取しないと図れるものではない。現在のMSYつまり最大持続生産量によって制約される量を超えても漁獲は、高コストであり、また、資源の持続的な減少をもたらすからだめ。そうはいっても漁民の生活がかかるだろう。やむをえないではないか、だいたい沿岸漁民の零細な船でこの燃料の高い時には割が合わないに決まっている、だから大型トロール船で効率のよい漁業に向けていけばよい。こういう議論が繰り返し行われている。当然ながら沿岸の漁場管理主体が消えれば、漁のある時期だけ、大型船がやってくて獲っていく姿を見つめるだけになる。だれがこの漁業集落の海と山を維持してくれるのだろうか、この沿岸の生産力のある自然環境の維持管理主体になってくれる人達が消えるのが答えというのだろうか。あきらかに集落の消滅を誘導するものとなる。でも漁業権をITQなどの譲渡可能権利としてしまえば、海区毎の漁業権集約は可能となる。これではどうしようもないのであり、外国の制度を丸呑み礼賛するだけの答えに乗る人はさすがにいない。(少しはいる、そして改革を叫ぶ勢力と旗をふる)
この自然環境の資源量を把握する努力はシンプルなミクロ経済学の利用とあとは水産学の利用による現場でサンプリング調査というやり方から、継続したデータの読み取りと構想力により大きな理論がうまれてきている。レジームシフト、これは日本の碩学である川崎健氏の地道な業績の成果である。もはや水産資源学を突破してしまっている。でも資源変動の現実をより自分の実感に近づけてくれたのはその通りである。しかし結構これをこなすのは海洋学、気象学、高校時代の地学程度の知識しかない僕には格闘の素材であり続けているけれど、自然環境を生半可な理屈をかじる程度で語るなと僕に教えてくれている。