やっと暑くなった毎日である。夏らしい。暑さの8月は慰霊の月そしてご先祖供養の月である。函館市内でも5号線から多くの道内各地からのナンバーの車が増え。駅前には帰省客を迎えに来る車の渋滞が始まっている。年二回の民族大移動の始まりである。
お盆と終戦記念日の二つは、やはり家族がともに私たちに連なる人々を思い、心静かに迎えたいと願うのである。ひとつだけ北海道なら特にではなのかもしれないが、やはり北方領土の週間があることも、どこかで忘れられ無くなっている。
この函館や近郊には樺太から、そして北方四島から着の身着のままで戻ってこられ、今金、長万部、姫川などの耕作には適さない厳しい土地に入った人達も多いのである。もちろん満州からもである。
また、実際にシベリアに抑留された人もおられ、実は存知あげてはいてもそうとはしらなかったのである。この方は今は静かに暮らしておられるけれど、実際に話を聞くことが出来たのである。確かに口は重いけれど、話してくださった。この話は今でも私の脳裏から離れることはない。あまりのものであり、終戦記念日の慰霊の時に心に響いても、鎮める何かを凌駕して貫き続けるのである。日本が戦争に負けたのだということが、むき出しの暴力となって人々に与えられ続けた苦難。
その方は庭いじりをされていた、汗ばむような日だった。静かに草花を愛でるその人の姿と私に伝えてくださった淡々とした語り口と内容のすさまじさは、やはり私の中で消し去れない思いとして残り続ける。慰霊とともにシベリア抑留で亡くなられた方へ、暑い目映い陽射しを受けるとふっと私の中をよぎる。私の世代での鎮魂の務めをがあることを。そして私自身が日本人として生きる以上、しなければならない義務をである。