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カテゴリ:論理・議論
5/11のコメントで紹介した、 鷹森氏ブログ(5/7) でのやり取り。 一日おけたので読みなおしてみたけど、改めて読んで見ると、進むうちに忘れてしまって、記憶がずれたまま理解していたことなどが出てくる。 いろいろその場の認識がいいかげんだったせいで混乱させたと反省している。 他人の場を借りて、知らぬ間に自分の責任になっていた(と自分では思う)事情から、姿勢が安定してなかったのが原因だ。 改めて、会話の流れの要点を見なおしてまとめよう。 鷹森氏の文意もあいまいなところがあって、 エントリーについて言えば、人権擁護法案自体はむしろこれらの地方の動きの危険の抑えになるじゃないか、という反論もありそうなのだが、 そのあとに書かれたコメント文では意味は通る。もっとも、僕はあくまで自分が「大意を受け取った」として提出した意見の上でのこととして受け取っていた。 鷹森氏の文だけだと、疑惑の主張ではあっても、展開が錯誤めいて読めるのは事実だが。 そのあと Apeman氏は書き込むのだが、(2005-05-08 17:18~29) 『「人権擁護委員権限ないから安全論は完全に破られた」と結論できるかどうか』 を焦点にしているというが、 なんかねえ・・鷹森氏のエントリー文だけに拘るのは無価値だと思った。 (要するに 「僕の書いたものを下敷きにして読め」 というつもりだった(笑)。 価値ある議論をしようというならそうなるだろうと。) その狙いが公正さへのこだわりだとは思えなかった。 間違いを逐一細かく認めて次に進むという節度を、Apeman氏自身が過去にやっていたとは記憶にない。 (今見なおして見ると、僕の書いたものを無視して鷹森氏の文だけを読めば、確かにああ書きたくなるのはわかるのだが。) さらに、今改めてはっきり思うが、 鷹森氏だけを否定することで、僕も使っているソースの価値まで否定するというのは、内容以前に、公正とも論理とも思えない。 プロセスがいいかげんだといっても、根拠まで0になったというのは言えない。 これはApeman氏もむちゃな論理だ。 「安全だと言ってる訳ではない」 と言いつつ、「資料は無意味だ」 というのではね。 そういう不透明さを感じて、 細かいことにかかずらいたくないので、コメントにあるはずだということを指摘すると、Apeman氏はそれが読めなかった。 読めなかったのは僕の説明不足もあるにしろ、 僕からすれば、Apeman氏が無価値な狭さに執着しているからに思った。 以前にうちでの書き込みでのあと、多少わかりあったかと思ったら、そのあと時間も置かずによそで同じことを続けているようなので、もう狭い範囲での厳密さを語る気をなくしていたのだった。 まあ、コメントの書き込みの始めから決め付けの態度が強かったので、というせいもある。 僕が、 Apeman氏が権限にこだわっているとした理由の読みについて、矛盾も指摘した上で、かかずらいたくないので 『意味の通じるように受け取る』 と書くと、 『ひとりよがりの日本語』 『ハンプティダンプティ』 とか。 まあそれもわかるが、決めつける書き込みへの反動さ。(笑) 『まともに議論を細かくかみ合わせる信頼がないときには、細かい表面ではなく、大意も取るのが合理的な成り行きだと思う。』 「論理の道筋は一つではない」、ということを書いたつもりだけど、 その後、 うちにかかってきた トラックバック の題名は、「法案反対派クオリティ 」 だった。 トラックバックは読んでいないが、この題名からすると、 ‘上の立場から信頼度を決めつけカンで考える相手には何も反論しても無駄だから、反論できない地位にいる’ という意味か、 ‘反対派過保護’ という意味だと思う。 多少は否定しない。 いささかカンを保護している傾向はある。 (向こうも僕の論を読んだフリして無視していそうに思うけど。) 日記内目次、資料、主要サイトのURL(日記ページ) 日記内目次、資料、主要サイトのURL(フリーページ) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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余計な心配はしていただかなくても。もう非生産的なことはしたくないけどあまりにも勝手なことを言われているのでもう一度だけ言うと、こっちは「価値ある議論をしようというなら」まずはソースのデタラメな読み方を正してもらわねばはなしにならない、と言っただけ。その誤りを認めていればそこから議論は次の段階に進めたものを…。だいたい法律と条例をごっちゃにしているんじゃまともな議論になりゃしません。
(2005年05月15日 17時57分23秒)
Apemanさん
>。その誤りを認めていればそこから議論は次の段階に進めたものを…。 ----- そうだったんですか。 そのつもりだとは半分以上思っていましたよ。 ただ、実際がそうなるとは半分以上思っていなかった。 (2005年05月15日 19時30分44秒) |
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