生きているかもしれない
朝から昼過ぎまで、プロット。自宅の電話が鳴った。昔の知り合いNさんの妹さんだった。Nさんは8年前、カンボジアのNGOに参加しようとして健康診断を受けたところ、末期の肺がんが見つかり、余命半年と言われた。そのことを周囲が知ったとき、Nさんはすでに身辺を整理しており、行方がわからなくなった。外務省に連絡を取り、各国大使館を通して、出入国記録をチェックしてもらったのだけど、手がかりなし。Nさんのことだから、タイのビーチでひっそりと死のうと考えてるんじゃないか、と仲間と言った。今回の電話は、Nさんの親が亡くなり、遺産相続のことで弁護士と話したところ、Nさんの失踪宣告を出したらよい、と言われ、そのために最期に会ったと思われる人の証言が欲しい、とのことだった。当時の仲間の連絡先を知らないので、そう答えると、ではいいです、と言われた。もう生きていないとは思っています、と言っていた。たぶんそうだろうけど、Sさんのお兄さんなんか、海外放浪に出たまま12年行方知れずで、もう死んでるんじゃないのかと思われていたら、エジプト大使館から、引き取りに来て下さい、と連絡があった。いま話題の100歳以上の人たちだって、ひょっとしたら生きているかもしれない。