シオン(あるいは、見えざるものたちの女頭領について)その13
もっともそのときまだ私は、自分の未来が一本道になったことには気づいていなかった。選択可能な未来は無数に現在から枝分かれしており、シオンと再会する道も、二度と会わない道も、自分(とシオン)が自由に選べるつもりでいた。そして私は最初から、2度と会わない道を選択するつもりだった。だから好奇心の向くまま、それを隠そうとすることもなく、あれこれとシオンに尋ねたのだった。シオンにとっては、その態度は、傍若無人に映ったかもしれない。しかし、訳もなくそういう態度をとったわけではなかった。会うまでに数回、やりとりしていたメールから受けた印象では、シオンは礼儀知らずで自分勝手な「ヘンなやつ」に感じられたのだ。先にも書いたが、私はその変わりぶりを見たくなって、写真をメールで添付せず、手渡しすることにしたのだった。去年の8月24日の日記にアップしてあった写真を下さい。元はどれくらいの画素数ですか?メールに添付して送ってくれませんか?初めてシオンから受け取ったメールの文面、私とシオンのファースト・コンタクトは、こんなふうだった。この単刀直入な切り出し方は、私の好奇心を十二分に刺激した。それさえも運命という名の必然だったというのだろうか?望まれるままメールで送ることも、無視しておくこともできたのに、私はわざわざ会うことを要求した。そしてあのとき、名曲喫茶Mでシオンと話すうちに、彼女の繊細さ、育ちのよさ、無垢な心に触れるうちに、自分の態度が少しずつ変わっていくのに気づいていた。そうなってくると逆に不思議に思えるのは、そっけないメールの文面のほうだった。会った後にもメールは何度かもらっているが、会う以前ほどそっけない文面のメールは1つもなかった。シオンは人見知りするのだろうか? 彼女ほど特異な考えを持っていたなら、そうであっても不思議はないのだが。「この写真にも、化け物が見えるのかい?」「いいえ。見えないです。。今のところは、ですけど。。」「やがて見えるかもしれないのか?」「ええ。。写真を食べる化け物がいるのです」「だとしたら、化け物の存在を物の量の変化として、視覚で捉えることができるってわけだな」「それが。。写真そのものは、食べられてもなくならないんです。たぶん写っているものを食べちゃうんだと思うんです。食べられると、写ってるものが変わっちゃうんです。。」「そしてそれは。。キミにしか見えないのか?」「ええ。。今はそうです。でも、私以外にも、きっと見えると思うんです。化け物の存在を信じてくれさえすれば、見えると思います。だから実は、せびさん、あなたには一番可能性があるんですよ。化け物が見える可能性が。。」「たしかにおれは信じてるよ。キミには見えるということに関しては、信じている」「微妙な言い方ですね」そう言ってシオンは笑ったから、私は訂正した。「こういうのは正確な言い方っていうんだ。言っておくが、信じているからといって、見えるとは限らない。見えなきゃ、キミの<生まれてからずっと>が否定されることになる。なぜそんなリスクを犯す気になったのか、おれには理解できないな。誰にも打ち明けないでいれば、それは永遠にキミひとりの真実のままだったのに?」(つづく)