風立ちぬ (かっぜー立ち~ぬぅ♪ いーまーわー秋ぃ~♪)
うちのブログは高校生も来てくれてるので、あまり古いネタはどうかと思ったのだが。。汗前から松田聖子が歌っていた「風立ちぬ」のことを書きたかったんです。実はこの歌が流行っていた頃、最初は普通の失恋の歌なのかと思って流して聴いていたのですが、どうも違うような気がして、レンタル屋で借りてまで歌詞を確認し、自分なりにおもしろい解釈に辿りついたことがあるのです。その結論を他の人がどう思うのか、聞いてみたかったというわけです。しかし歌詞を全部書き出して著作権がどうのというようなややこしいことになるとイヤなのでできませんでした。ところがこないだ、 ここの上から5番目に「風立ちぬ」の歌詞が掲載されているのを見つけ、リンクを張ればやれそうかな、と思った次第なのデス。(注*)この歌はタイトルが示す通り秋の歌なのですが、このタイトルから連想するのは同タイトルの堀辰雄の小説でしょうか。不治の病に冒された奥さんとともに送った1年間の闘病生活を記録した作品で、春から始まり冬で終わります。(注**)また、作品の舞台は軽井沢ですが、歌謡曲のほうの歌詞にもそれに対応するように「高原」という言葉が出てきます。小説で示される季節の移り変わりは、歌謡曲にも違った形で取り入れられています。それは5行目に出てくる3つの花なのです。この部分は、あまりに突然脈絡の分からない花の名前が並ぶので、フツーなら歌い方(感情のこめ方)が分からないはずなのですが、松田聖子はさすがプロというか、丁寧で適切な歌い方をしています。今ではなんだか濃い目のおばさんですが、表現者としてすばらしいセンスの持ち主なんでしょうね。。で、その3つの花なのですが。。すみれ(春の季語) 謙虚・慎み深さ・愛・純潔・誠実・小さな幸せひまわり(夏の季語) あこがれ・熱愛・愛慕・敬慕・フリージア純潔(春の季語) 慈愛・親愛の情・親愛・季語としては春→夏→秋とはなっていませんが、花言葉をじっと眺めてみて下さい。愛情の度合いが少しずつ深まっていっているのが分かると思います。そして私は、この簡潔な表現に気づいたとき、すごいなと思いました。ここで並べられる花がなぜ、すみれとひまわりとフリージアでなければならなかったのか、なぜその順番でなければならなかったのか、花言葉にしてみると明快になるのです。と同時に、慈愛という段階までいったふたりの別れというのは、歌謡曲にありがちなひと夏の恋の終わりとかそういうレベルの話ではないんだな、と、あらためて思いました。ではいったい、どういう別れの歌なのかというと、相方さんが死んだのだと私は思います。歌謡曲といえばテーマは恋愛限定みたいなところがありましたから、かなりぼかしてますけれど、明らかにそうだよな、と思うのです。だって曲のタイトルが「風立ちぬ」なんですから。別れた相手への手紙を「風のインクでしたためる」というのも尋常ではありません。普通ではない事態が起こったのだとしか思えないのです。慈しむ愛にまで到達したふたりが、相手の胸に帰りたいと思いながら別れ別れになったわけですし。まぁ、このあたりまでの読み込みは、「なるほど。まぁ、そういうふうにも読めるよなぁ」というふうに思ってもらえるんじゃないかと思ってます。しかーーしっ!ここから独断的なせびワールドに突入したいと思うのです(^◇^)ケケケこの歌では何度か「今は秋」と繰り返されます。そして 陰陽五行の配当表を見ると、秋とは老いに通じるのです。何が言いたいかと言うと、つまり聖子が歌うこの歌の語り手である女性は、初老の女性である可能性がある、ということなのです。この歌の歌詞において、高原のテラスで手紙を書くのは、初老のご婦人ではないか、と。。初老の女性が赤いバンタナを首に巻くのか? というもっともな疑問もありますが、この場合のバンタナは、「ひも状にして使う赤いもの」→「運命の赤い糸」→「運命のふたり」という連想を呼ぶためのものであり(だから絶対に赤い色をしてなければならなかった)、赤いバンタナを首に巻いて似合う初老の女性を想像すれば特に問題はないか、と。。(笑)さらにいえば、こんな解釈はどうでしょうか?この歌詞に出てくる女性は20代~30代の女性で、相方さんと死に別れたのだけれど、死んだのは相方さんのほうではなく、彼女のほうである。だから彼女は「風のインク」で手紙をしたためるしかなかったのだ。「草の葉に口づけて」というフレーズは、「草葉の陰」に通じている。。もうひとつ。。現代的な解釈を。「あなた」から遠く離れて高原にいる女性は実はストーカーで、対象の男性に近づくなという判決を受けた、と考えるのはどうでしょうか?(笑)そういうふうに仮定すると、「帰りたい帰れない」の意味がまるっきり違ってきておもろいです。まぁこんなふうに、記号と象徴が乱れ飛んでいた歌謡曲の世界では、表面的にはなんてことはない他愛ないかのような歌詞の裏側にいろんな事柄が潜んでいたものでした。その中でもこの歌詞は、さまざまな解釈を許す素晴しいものだということはまちがいないように思います。+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++(注*) 一読して頂ければ感じてもらえると思いますが、いまどきのポップスとはくらべものにならないくらいハイレベルな言葉の使い方がされています。アイドル歌謡曲のよい点のひとつは、このように作詞家という言葉のプロが関わることだったのでしょう。いまどきのポップス(J-POPて言うんですか?)は自作して自分で歌うのが基本のようで、音の面では洋楽ぽくてかっこいいのが多いですが、歌詞はないがしろにされてることが多いような気がします。(注**) 「風立ちぬ」というタイトルの由来は、この作品の冒頭に置かれたボードレールの詩の一節だそうです。それはこんなふうに原語(フランス語)と堀辰雄による翻訳とからなっています。 Le vent se leve, il faut tenter de vivre ( leveの最初のeの上には、ヘンな点みたいなのがついてます。。汗) 風立ちぬ いざ生きめやもいや。。なんのこっちゃさっぱり分かりませんな。。汗そこでライブドアの翻訳サイトで原語を英語に訳してみました。Wind rises,it is necessary to tempt to live(せびの直訳:風が起こる/生きようと試みることは必要なことだ)ところが文語調で翻訳された文の意味は、「生キヨウトスルダロウカ、イヤ、シナイ」というような反語の意味になるようです。この原語と翻訳の内容の違いは、「作品の素材になった現実」と「作品」との関係を表しているかのようでおもしろいです。