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カテゴリ:日記
武林という言葉は、ご存知ですか?
簡単に言うと武術をやっている人たちの集まりのこと。 武林是一家という言葉もあるほどで、・・ってウィキでも調べればすぐにわかるんですが。 今回はこの武林に対して思うことがあります。 先日、「中国武術表演会」なるものを見に行きました。 私が日ごろしている太極拳とはまた違う、いろいろな中国拳法、柔術の中国武術的講釈などが行われました。 それはそれで私にとってはすごくためになったのですが・・。 そもそも、今回のイベントは近所のポスターを見たところから。 一応先生に断りを入れてみると。 「うちの団体でやっているイベントじゃないから、暇なら行ってみてもいいんじゃない?」 ・・この言葉に少し引っかかりを覚えました。 次に、表演を鑑賞中・・ 「同じ鹿児島で、こんなにいろいろな団体がいること、こんな中国武術があるってことを私が知らないのは、団体ごとの交流が少ないからじゃないか。」 と思ったのです。 太極拳に限って見ても、私が所属する団体を含めて知っているだけで3つ。 今回の表演はまた違う団体がされていました。 そしてそのそれぞれが、独自でのイベントこそあれど、交流の機会をほとんどまったく作らない。 そして表演会後・・。 私の団体や先生のことなど知っている方たちもいたようで、話が弾んだんですが・・ ふと聞いた言葉に、また少し寂しいような違和感が。 「(うちの教室)は、ひとつの套路を”泥臭く”練習するんですよ。」 ・・そんなにうちの先生に習っているわけじゃないのに、泥臭いって・・ 中国武術以外のところで、課題のような問題点を見つけてしまったようで・・ そんなことを考えているとき、武林という言葉を思い出したんです。 武林是一家って言葉も、「武術を学ぶものはみな兄弟」なんて意味があるそうですが、この現状ってそう言えますかね?? もっとも、昔の武術はそれこそ争いのため、あるいは自らを守るために発展したものがほとんどで、オープンにみんなと交流しながら練習する、といったような平和な思想は無かったのでしょうけど。 だから練習でさえも、他人に技を盗まれないように日も上らないうちに練習をしたり、部屋の中で練習できる套路が生まれたりするんでしょうが。 今は時代が違うんじゃないですか? 自己防衛のため、あるいは健康のために習う人が多い現状では、見識の広さは広いほうがいい、と考えます。 また、1つの武術を磨くのもよし、いろいろな武術を体に通すのもよし、そのための交流はもっとあっていいのじゃないか、と思うのですが。 どう思います? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Feb 15, 2009 09:47:42 PM
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