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草莽の記    杉田謙一

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seimei杉田

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2008.06.10
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カテゴリ:裁判
朝鮮がらみ裁判二題
A,大阪府八尾市が「公益性」を理由に固定資産税などを一部減免している在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)関連施設について、市内在住の男性(66)が6日、施設の使用実態は公益性がないとして、田中誠太市長を相手取り、平成19年度の減免措置取り消しを求める訴えを大阪地裁に起こした。
 市は地方税法などに基づき、「地域の集会所と同様の公益性がある」として17年度まで固定資産税と都市計画税を全額減免していたという。

 名古屋市はすでに二年前、議員の質問に答えて市長が課税方針を決定。大使館的な任務はないとの結論で。
 その最中に財政的破綻を迎え、建物は競売にかかった。今は此処には拠点が存在していない。名古屋市内七箇所は支部として存在している。
 岡崎は名古屋に準じると話しがあったままであり、再度聞いてみたが、いまだ非課税としていることが判明。名古屋支部に準じるとの説明である。
 最高裁において、非課税は違法と結論がでているのに、これでいいのであろうか。

 (学校教育法にもとづかない学校は助成されない。朝鮮学校をはじめ、インターナショナルスクールやアメリカンスクールも同じである。日本国憲法89条の中で「公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業」への公金の支出を禁止しており、それに該当するためである。
 学校教育法にもとづくわが国の私立学校についても、公の支配に属すると解釈されて「私学助成」を受けている。だが、「私立学校」であるからといって、学校教育法にもとづかず、また公の支配にも属さない朝鮮学校までを助成するのは違憲である。)


 B,脱北女性、朝鮮総連を提訴へ…帰還事業で「虚偽の説明」

 帰還事業で北朝鮮に渡り、強制収容所に入れられるなど肉体的・精神的苦痛を受けたのは事業を支援した在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)に責任があるとして、日本に脱出した女性が近く朝鮮総連を相手取って慰謝料など約1100万円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こすことがわかった。

 このほか数人の脱北者も同様の訴えを起こす方向で検討している。国内には脱北者約170人が暮らすが、日本に住む脱北者が帰還事業を巡って訴訟を起こすのは初めて。
 訴状などによると、女性は63年、在日朝鮮人の両親らと帰還事業で北朝鮮に渡ったが、衣食住にも困る生活を送った末、家族が強制収容所に入れられ、女性も00年に脱北を試みて失敗、収容所で拷問を受けた。

 女性側は「朝鮮総連は北朝鮮の惨状について説明すべき義務があったのに、『地上の楽園』などと虚偽の説明をして送り出し、人生をめちゃくちゃにした」と主張している。

 民法では、不法行為による損害賠償請求権は、損害及び加害者を知った時から3年間行使しないと時効によって消滅すると定めているが、原告側は「訴えることが不可能な北朝鮮から帰国して3年以内の提訴なので、時効にはあたらない」としている。
                 (6月8日 読売新聞より引用)

 北朝鮮への帰還事業は実に悲惨な結果を生んでいる。

北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会 での脱北者の体験発表は涙せざるを得ない。一部引用する。(以下引用)皆様には全文をお読みいただきたい。

政治犯収容所で政治犯として生まれた私 (シン・ドンヒョク)

7 縫製工場での出来事
私は、中学校を卒業すると縫製工場のミシンの修理工として働くことを命じられました。この工場には、2千500人の収容者が働き、内、2千人は、女性でした。彼女たちは、殆どが20歳代、30歳代、40歳代で多くが魅力的でした。

彼女たちには、必要な作業服はなく、腕をさらけ出していることで保安将校に容易に覗かれました。7人の美人の収容者が選ばれて保安事務所の清掃をすることになりました。日常的に仕事で蹴られ、殴られたりしているが、この仕事をすることでこのようなことされないので、彼女たちの多くは、競ってこの仕事をしようとしました。これによる性的暴力は、日常の保安将校による暴力、激怒と同じことのように考えていた。

私のクラスメートのパク・ヨンチュンは、現在生きていれば25歳になります。彼女は、警備員の事務所の掃除をすることを命じられました。ある日、彼女が妊娠していることが分かりました。妊娠したことが分かれば、抹殺されることを知っていましたのでクラスメートの4人で彼女の妊娠が分からないよぅに隠しましたが、結局、妊娠していたことが知られ、彼女は、どこかへ連れて行かれました。その後、彼女に何が起きたかは分かりません。警備員事務所の掃除をする女性には、起こることであります。

ある日、私はミシンを2階に上げるため運んでいたところ、腕の力がなくなり、ミシンを落としてしまいました。すると、この罰として中指を切断されました。

2004年のある日の夜遅く、毎日の懲罰が終わると、4人の保安将校が姿を現し、どの部屋にしらみが多くいると聞いてきました。数名の収容者が我々の部屋に多くいると答えたところ、将校たちは、7人いる女性部屋と4人いる男性部屋にそれぞれバケツー杯の水を渡しました。

この水は、牛乳のように白く、殺虫剤の臭いのするもので、彼らは、これで体を洗いましたが、直ぐには何も起こりませんでした。しかし、1週間もすると彼らの体中がただれだし、赤い発疹が出来、1ヶ月も経たないうちに、赤むけとなりました。

彼らは、痛みで歩くのにさえ立ち上がれませんでした。彼らは死ぬことになるだろうと思っていたところ、トラックが来て彼らを乗せてどこかへ連れて行きました。もしあの時、私があの水で体を洗っていれば、今日私がここにいることはないであろうと思います。

2004年のある日、朴という若い収容者は、縫製工場の私の仕事場での仕事を命じられ、私は、彼に機械の操作を教えました。彼と親しくなり、彼から聞く外の世界のことで目が大きく開きました。彼はこれまでにアジアの数ケ国を旅した経験があり、この旅で経験した外国の事を話してくれました。彼は私に機会を得て収容所から逃れる勇気と収容所の存在を世界に知らせる勇気を与えてくれました。

8 収容所からの脱出
2005年1月2日、朴を含めた25名の男女は、私が引率して山へ薪集めに行きました。私は、目の前に有刺鉄線があるのに気づき、辺りを見ると他の人たちは、夢中で薪集めをしでいました。
この時、一つのことが私の心を一瞬よぎって行きました。それは、母と兄が処刑され、経験した悪夢のような拷問でした。注意していると、朴と私は有刺鉄線に近寄っていました。撃ち殺されえることや電気が流れているとの恐怖はありませんでした。その時、ただ脱出することだけを考え、他のことは何も考えていませんでした。私は、有刺鉄線に向って走り出し、有刺鉄線を乗り越えようとした時、足裏を誰かに刺されたような激痛を感じました。私は、殆ど気を失いかけましたが、本能的に有刺鉄線を乗り越えるという気持ちが私を後押ししました。辺りを見ると有刺鉄線は、私の後ろにありましたが朴は、有刺鉄線の上で動けなくなっていました。あの絶望的とも思える瞬間、私には運のない朴を考える余裕さえなく、ただ、脱出できたとの喜びだけでした。収容所を逃れられたという感激は、言い表すことが出来ません。

一目散に山を駆け下りていると両足が濡れているように感じ、見ると、有刺鉄線により出血していることが分かりました。私には、立ち止まっている時間はありませんでしたが、暫くすると、鍵の掛かっている家を見つけました。

私は、食べ物を見つけるためにこの家に入り、食べ物を見つけました。見つけた米を持ってこの家から立ち去り、鉱山の村に行って持ち出した米を売り、この得た金は、中朝国境の警備員に賄賂として渡すためのものでした。

9 自由への道
私は、政治犯収容所で生まれ、収容所を脱出して初めて北朝鮮社会を見ました。しかし、それは、2005年1月、凍った豆満江を奇跡的渡りことが出来、安全に中国へ辿り着くまでの20日間でありました。

約1年間、国境近くの山里にある宿泊所で働き、中国元で金をもらいました。この金額は、90米ドルと等しいものでした。私は、鉄道とバスを使いいくつかの町に行った後、長春に行き、その後、北京に辿り着きました。

私は、ある町の韓国料理店で韓国人男性に事情を話し、助けてもらうよう頼んだところ、この男性は、私を上海の韓国領事館に連れて来てくれました。韓国領事館で6ヶ月間を過ごした後、韓国に入国することが出来ました。(終わり) 引用以上


 北の強制収容所の現在進行中の拷問など、余りにひどい。チベットウイグル中国などの虐殺などとても容認できるものではありません。アジアの民のためにできる事を一つずつしていくしかありません。
 





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Last updated  2008.06.10 16:53:25
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Re:朝鮮がらみ裁判二題(06/10)   seimei杉田 さん
「カルメギ 」を検索いただけば,脱北者の悲惨な体験談が赤裸々に記載されています。

北朝鮮は完全な狂気の国家であることが読み取れます。
社会党、共産党、赤十字など、北への幻想をあたえ、帰還運動を推進したグループは、その責任を取るべきであろう。 (2008.06.11 00:07:57)


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