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明日は沖縄玉砕の日です 沖縄の民意に最も心をお砕きになられたのは今上陛下ではあるまいか。
昭和56年8月7日に行われた記者会見で、当時、皇太子殿下でいらっしゃった陛下は「日本人として忘れてはならない4つの日がある」とおっしゃった。その4つの日とは、8月6日の「広島原爆の日」、 8月9日の「長崎原爆の日」、8月15日の「終戦記念日」、そして6月23日の「沖縄戦終結の日」である。確かそれまでこの日の式典の放映が本土ではなされていなかったと記憶する。 20数年前息子らを連れて私も慰霊に沖縄に行かせていただいたことがある。壕の中にて展示資料に涙しながら思いをはせていると、としゆかぬ子供らが飽きてしまいぐずって困った思い出がある。 その資料は無念ながら旧軍への非難が記載されていた。特攻までして沖縄を守ろうとしたのに。複雑であった。「本土と言葉そのものの成り立ちが違う」と強調される現地の方も見えショックを覚えた。「生半可な知識ではこの悲惨な体験を和らげることはできないだろう」それが最大の印象であった。沖縄を救えなかった本土人としての責任を感じても、何もできない。そのもどかしさはいつもある。 しかし陛下は沖縄への愛情を絶やされることなく何度も慰霊に行かれ、沖縄の文化、琉歌をお読み続けて見えると聞く。日本人の誰よりも多くおよみになり、心を沖縄にお寄せ続けてみえるのだ。陛下にわするなと言われながら、何もなしえていないことに申し訳なく思うのみであります。 弔旗を事務所に掲げた。明日は心静かに沖縄を思ってみたい。 あさひ新聞にこの記事が 内田樹さん、「天皇主義者」宣言 「変心」の真意語る 編集委員・塩倉裕 2017年6月21日08時00分 9条護憲や脱原発などリベラルな主張で知られる思想家の内田樹(たつる)さん(66)が、雑誌のインタビューで、自分は「天皇主義者」になったと宣言した。右派的な用語で、アブない気配が漂う。なぜ今“変心”なのだろう。 保守系雑誌「月刊日本」5月号のインタビュー記事「私が天皇主義者になったわけ」で表明した。過去には「立憲デモクラシーと天皇制は原理的に両立しない」と考えていた時期もあったが、天皇制を含めた今の政治システムをよく練られた政治的発明だと思うようになったことで「僕は天皇主義者に変わった」と語り、一部に驚きを与えた。 憲法で「日本国民統合の象徴」とされる天皇。内田さんは記事の中で、今の天皇制システムの存在は政権の暴走を抑止し、国民を統合する貴重な機能を果たしていると高く評価した。昨年8月の「お言葉」で「天皇の務め」とされた各地への「旅」にも着目。戦争犠牲者への「鎮魂」と災害被害者など傷ついた者への「慰藉(いしゃ)」は、実は国民を統合するために非常に効果的な政治的行為なのだとした。 「天皇主義者」は、右派色・復古色が強く、安易には使えない言葉だろう。取材すると、きっかけは昨夏のお言葉だと内田さんは明かした。 「陛下自らが天皇の務めは鎮魂と慰藉の旅だとの解釈を示されたのに、保守派の中からは『余計なことはするな』『静かに国事行為だけをしていればよい』と言わんばかりの声が出た。驚きました」
引用以上
この方はまともに物事を考える方なのだろう。左翼「転向」なり「修正主義」なりの言葉を使って非難するであろうが、「日本回帰」の言葉を使うことにしている。私の周辺にも真にものを考える方は、天皇存在を国民の民度を向上するために大いに機能しているシステムと語るようになられた方が多くいる。左の活動をしてきた方が「日本回帰」をされるきっかけは、労組の執行委員を下りたり身近に大切な人の死に直面したり共産国家の非道を見聞きしたり等様々でありますが、観の転換を陛下のお言葉を契機になされた方を知るのは初めて。変革の原点としての天皇像を見出された思索の人に敬意を抱く。
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Last updated
2017.06.22 23:56:30
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