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草莽の記    杉田謙一

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seimei杉田

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2019.01.23
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明治3年(1870年)一月二七日、明治新政府は太政官布告第五七号(「郵船商船規則」(「商船規則」)に於いて「日本国船に掲げる国旗は白地に日の丸」と定めた。この近代日本における最初の法規条文化を記念してこの日が制定とされる。

しかし大戦までは国家建設存立の重大意義を身に染みて知る国民は慶事には国旗を掲げて慶び旭日昇天の理想を国旗に託した。戦時には武運長久の祈りを込めた寄せ書きを成したり小旗をうちふるって戦地に赴く兵士の幸を祈った。

敗戦占領の憂き目を経て、国旗は掲揚を禁止されることもあったがさすがに国民の国家を思い独立を願う思いを占領軍と言えどもこれを止めえずついに掲揚承認。沖縄復帰の際もその運動の中心には国旗掲揚があったと聞く。昭和三〇年代には多くの家で祝日には国旗が掲げられ、正月には、しめ縄と同時に国旗を付けた自動車が走るのが当たり前であったように思い出す。しかし戦前世代が引退される中で戦後教育を受けて育った世代には国家尊崇意識はすっぽりと抜き取られてしまった。大学教育はマルクス主義がはびこり、そこで育った教師は組合活動を是認して国旗掲揚を拒否ないし軽視することになるという異常事態が起きてしまった。その残滓は未だに払拭されず、国立大学ですら国旗掲揚がなされない異常事態が今もって続いているのである。東海地方の盟主たる名古屋大学でも未だ入学式卒業式という最重要儀式にあっても国旗が掲揚されないのである。戦後学内で国旗掲揚がなされたのは私が在籍していたころの数回でしかないと思われる。数年前、陛下が名大教授らのノーベル賞受賞をお喜びになられて名大視察にお越しくださったときですら学生課は教授会に逆らえずに国旗掲揚を成さなかった。掲揚要求を正規になしたにかかわらずに。

 

日本敗戦・占領統治を受けた日本では学校教育にて国旗掲揚が当然とされるには相当の時間がかかってしまった。私が教師なりたての時、こざかしい組合の責任者が組織命令で国歌斉唱を「休め」でうたわせたり、国旗掲揚を避けることばかりしていた。岡崎は教育の先進地としての評価を受けながらであります。紀元節に市内全小中を回り掲揚状況を調査したがあがっていたのはわたしの勤務する中学と他数校。率にして五パーセントでありましょうか。私の中学でも一度目の職員会では掲揚不可とされ、再度校長に直談判して校長判断で掲揚と決まった経緯。国歌斉唱を「休め」でうたわせる決定を覆したのは教育長に「君が代は合唱かなのか国歌なのか」を問うて、教育長の見解を出していただき「気を付け」でうたうことにしたもの。これも職員会でひっくり返したのであった。その時の日教組分会長が私が職を去って学校訪問した際、校長になっていたのを知りびっくり。まあ当時の事を「杉田さんには国旗国歌につきいろいろ教えていただきましたね」と「皮肉」とも本音ともつかぬ言葉をいただきましたが。

しかしこれが大きく変わりがしたのは平成になってから。国旗国歌に法的な明確な根拠が与えられたから。

 

国旗及び国歌に関する法律(平成11年法律第127号)

(国旗)

第1条  国旗は、日章旗とする。
   
     日章旗の制式は、別記第1のとおりとする。

(国歌)

第2条  国歌は、君が代とする。
   
     君が代の歌詞及び楽曲は、別記第2のとおりとする。

その時の総理談話は以下の通り。

 

内閣総理大臣の談話(平成11年8月9日)

本日、「国旗及び国歌に関する法律」が成立いたしました。
我が国の国旗である「日章旗」と国歌である「君が代」は、いずれも長い歴史を有しており、既に慣習法として定着していたものでありますが、21世紀を目前にして、今回、成文法でその根拠が明確に規定されたことは、誠に意義深いものがあります。
国旗と国歌は、いずれの国でも、国家の象徴として大切に扱われているものであり、国家にとって、なくてはならないものであります。また、国旗と国歌は、国民の間に定着することを通じ、国民のアイデンティティーの証として重要な役割を果たしているものと考えております。
今回の法制化は、国旗と国歌に関し、国民の皆様方に新たに義務を課すものではありませんが、本法律の成立を契機として、国民の皆様方が、「日章旗」の歴史や「君が代」の由来、歌詞などについて、より理解を深めていただくことを願っております。
また、法制化に伴い、学校教育においても国旗と国歌に対する正しい理解が促進されるものと考えております。我が国のみならず他国の国旗と国歌についても尊重する教育が適切に行われることを通じて、次代を担う子どもたちが、国際社会で必要とされるマナーを身につけ、尊敬される日本人として成長することを期待いたしております。

更に、教育基本法の改正により愛国心教育が正規に始まってからでありましょう。

 

愛知では国旗掲揚推進愛知の会を数年前に結成して議場に国旗掲揚を進め三河では東栄町を除きすべての市町村にテ完成。さらに交番での祝日掲揚もほぼ完成。街路灯掲揚を進め国旗掲揚ストリートの設置と拡大を成し、私個人でもほぼ五〇〇本を岡崎市内と幸田町幸田駅周辺に掲揚。愛知県内一〇〇〇本以上を毎回の祝日には掲揚を成している。

 

いくら法的根拠ができても掲揚は進むものではない。

記念日を契機に多くの方に活動趣旨をご理解いただき、少なくとも全市町村で国旗掲揚ストリートを築いていきたいものです。

 

 






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Last updated  2019.01.23 22:55:33
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