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今朝、仕事終わりが2時。仕事そのものは11時に終わったのだったが、やっと「上和田町の旧跡」の書物原稿が昨晩届いていたのでとりあえず5部を印刷製本した。それから家に帰って国旗掲揚の続きをしようと急ぎ会社を出るがなんと車のバッテリーが上がってしまい、かからない。致し方なく徒歩で帰宅する。夕飯を食べ、仮眠をとって朝いちばんに妻に職場に送ってもらいブースターで起動。国旗掲揚に走る。会合の時間が迫ったので途中で終えて朝9時に職場に戻る。岡崎建国中止のお詫び文を印刷。例年2月11日は最低300名があつまってくださるが、コロナのために入場制限がかかり半数以上の方の入場をお断りするしかなく、苦肉の中止決定。しかし50年以上の歴史をたやすことはしのびず、代替案ですが、有志による学習会を用意することにした。おそらく5・60人規模に縮小実施となると報告しておいた。 のち急ぎ掲揚を。 11時に帰り本日のメイン慰霊祭準備に入る。 1月11日に亡くなった人物は土屋長吉公。家康と対峙した三河一向一揆側の武将。しかし殿を討つことなどできぬと一揆側を抜け家康公の防御に入って討ち死になさった方。 公の顕彰碑の前に祭壇を設け皆さんの到着を待つ。 定刻の12時より国民儀礼。国歌斉唱をなして祭事に入る。斎主は山下氏。修祓 大払いの詞 祭文奏上 各人の参拝をなす。その後に書物「上和田の旧跡」書物を作り上げてくださった町内総代のI氏Y氏のご挨拶をいただく。
終了後、リコール事務局にてお集まりいただいた方らと、リコール総括実施につき語る。まずはリコールにかかわってくださった方々に成果と課題につき書面なり電話なりによって感想を集めることなどを決める。今後の活動の展開に有意義なものにしたい。さらに岡崎や豊橋などのリコール運動署名の岡崎取り扱い分署名の10年間の保管をきめる。署名用紙を一括して段ボールに入れて皆さんの署名と印を押して封印。弁護士経由で保管する。
終了後国旗の降納に走る。しかし、仕事の時間となり出社。10時に仕事を終了する。
雑談中に慰霊祭の話になる。仏教徒の方が神式での祭礼につき質問くださった た。神式に抵抗がおありのようでした。三ヶ根の例では比島観音では仏式、殉国7士墓では神式での慰霊方式をとることになっているがこれらは形であり作法の違いであり強制ではないことを語る。ちなみに地元の英霊に対する慰霊祭は一年ごとに神式と仏式を交互に行っている。
僕らが神社に参拝する際は二拝二拍手一礼をなす。これも宗派や神社によりさまざま。拍手の回数も違い唱える文も異なる。それらは文化表現の違いでありだからといって優劣など無関係。 例えば力士はそれを様々な作法で神仏を尊崇する。 力水で身を清め・塩をまき土俵を清め、蹲踞して手を開き、武器を持たぬと相手にしめしてさらに柏手を打つ。 要は神社参拝の相撲世界観に沿った拝礼形式が今の形であるといわれる。はっけよいの詞も神のご加護を感謝する思いから出た言葉であり、呼吸がぴったり合った立ち合いが力自慢の戦の開始合図となっている。しこを踏むのは地の邪気を封じるため、左右手刀を切るのは、神社参りの2拝2拍手1拝の如き力士の世界での参拝形式。 要は自然に感謝して五穀豊穣を祈るのが相撲の原点。そのあとの取り組みは神々への奉納相撲。潔く力強く取り組むのが本来。力士の力比べとは、あえて言えば神々への祈りの具現化と言えましょう。 相撲道は格闘技でもなくスポーツでもなく、相撲それ自身が神々への敬虔な祈りの表現。農耕文化のエキスを行ずる任務が相撲道にはある。 奉納試合も巫女の舞や雅楽のように神々に捧げるもの、いわば神々への感謝を伝えるアトラクションで在るということもできるのではないか。
要は参拝はおのが信じる流儀でなせばよいと私は思うがいかに。無論全体での形が決まっていればそれに合わせあとは個人の流儀で敬意を表せばよい。事実豊田での4月、草薙隊の慰霊祭ではPL教の信者の方には昨年も全体が終わった後にその流儀に併せて行っていただいた。それでよいと私は思う。
さて、今から国旗降納に走ります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
いろいろ初めて知ることが多くありました。ありがとうございました。
リコールの署名、ありがとうございました。岡崎市民の皆様のやさしさと気持ちいいほど一本通った思いをずっと忘れずにいようと思いますお疲れ様でございました。 (2021.01.12 13:27:19) |