ひとやすみひとやすみ/「一休さん」考
少々人生に疲れておりまして(←単に体調が悪いだけ)、今回はちと雑談なぞ・・・熊本城は見るも無残な状況になっていて、地震の少し前に「熊本城、行きて~な~。次の夏休みで行っちゃおうかな~。でも夏の九州なんて暑いしな~」なぞと考えていたわたくしは大ショック・・・まあ、昔一度だけ行ったことはあるんですが、ホントの観光だったもので、お城ファンとして天下の名城をもう一度訪れたいと思ってたとこだったんだよね。しかし、自然災害はどうしようもない。もう少し落ち着けば城の復興の募金なども受け付けるでしょうから、せめてそれで協力するしかありませぬ。史跡を守り伝えていくのは歴史ファンの使命ですから。んで、今回のテーマ「一休さん」ですが、一定の年齢以上の人なら誰でも一度は観たんじゃないかという、往年の名作TVアニメ「一休さん」のことです。これを、第1話から観始めましてね。今、10話まで行ったとこ。ちょっと前に何となく思い出して、母親に「しんえもんさんて何者なの?」と聞いてみたところ、「あの人は将軍さまの命令で一休さんを監視してたのよ。それがそのうち、一休さん寄りになっちゃってねえ~」という答えだった。何しろわたくしが観ていたのは子供の頃で、「しんえもん」さん(蜷川-にながわ-新右衛門)は「みながわし~えもん」さんだと思っていたぐらい、何も知らず何も考えず素直に子供らしく観ていた番組。新右衛門さんと一休さんが仲良かったことぐらいは覚えてますが、そんな設定があったとは露知らず、ちょっとオドロキでした。えっとそれで、2~3日前にふと「一休さん」のことを調べてみたらなんかすごい設定になっとる・・・しかも、わたくしの記憶にない「末姫さま」という新右衛門さんの憧れのお姫様は、ぬわんと大内家のお姫様だという・・・えええ~、「一休さん」に大内のお姫様が出ていたなんて~!!ここから、俄然興味が湧いてきて、「一休さん」を初回から観ることになったのですが、初回のしょっぱなからオドロキの連続でした。一休さんやさよちゃんがお掃除などの作業中によく歌う歌、 か~ねがゴーンと鳴りゃカラスがカアがまず最初に出てきて、「おお懐かしい~」と思っていたら、その次の歌詞に耳を疑いました。 い~くさに焼~かれてお~寺はボウ! そ~れでも坊さんへ~いきな顔してな~むさんだあ・・・は?今、なんとおっしゃいました?戦に焼かれて・・・?しばし凍りついたあと、すぐこの歌詞を調べました。あるいはわたくしの聞き間違いじゃないかとも思ったのですがやっぱり、 鐘がゴーンと鳴りゃカラスがカア 戦に焼かれてお寺はボウ それでも坊さん平気な顔して南無三だあ つるつる頭にゃ毛がないね 毛がないねが正式な歌詞だそうな。「一休さん」の設定をあらためて紹介しますと、主人公の千菊丸は後小松天皇の庶子として生まれるが、母「伊予の局」が足利家に敵対した南朝方の家の出だったため、将軍家の命によって千菊丸は幼くして母と別れて貧乏寺の安国寺で出家し「一休」と名乗った。が、いつ南朝方から担がれるかわからないので将軍・足利義満は寺社奉行の蜷川新右衛門に命じて一休の監視をさせた、というもの。南北朝の争いについては、関東の動きを中心に連載中のシリーズの旅日記の方で簡単に紹介をしましたが(「将軍たちの宝(14)」~「(19)」あたり参照)、義満の頃になると南北朝および足利家内での争いもおおむね収まった。が、まだ熾火は残っており、戦の舞台となった京の傷跡も深い。アニメ「一休さん」はそういう時代の物語で、なかなかリアリティーのある設定です。もちろん、上の歌(正式名称:「鐘がゴーンと鳴りゃ」)は本作のオリジナル曲ですが、南北朝直後の世相を反映した歌だな~と衝撃を受けました。しかも、こういう歌をさよちゃんが高い甘ったるい声で歌うと、現実の歴史を知る人間にとっては頭を抱えて悶絶するほどの重みがあります。そもそもさよちゃんて近所の子供かと思っていたら、戦災で両親と死に別れ、他の孤児たちと一緒にいたところが運良く実のジイちゃんが見つかったので安国寺の寺男をしていたジイちゃんに引き取られて安国寺で暮らすようになったという設定。そういう暗い過去を背負った少女が、元気に戦災を暗示する歌を歌っているのだ。今泉みねが「子供でもコトンとも言わさず静かに死ねます」と言った江戸期もすごいと思ったけど、激動の南北朝を生き抜いた子供もすごいと心に鉄槌を打ち込まれたような衝撃を受けました。ちなみに、この歌には2番もあるらしく、 鐘がゴーンと鳴りゃからすがカア 坊さん修行は掃除に座禅 短い命でみっちり勉強南無三だあ あしたじゃ遅いぞきょうをよむ きょうをよむだそうな。「きょうを読む」は「今日」と「経」をかけとるのか・・・なかなか深いな、と脱帽しました。だいたい、子供向けアニメで「短い命」とかあまり使わんしな。衝撃を受けたのは歌だけじゃない。おそらく後期になるとそれほどでもないんだろうけど、初期は子供向けのほのぼのした話題の中に、どシリアスな内容がばんばん出てくる。そういう話が出てくるたび、「うっそおお~、子供のアニメでこんなのやっていいのかあああ~!!」と悶絶します。第10話までの仰天のシリアス話は、「将軍さま」がいよいよ一休さんと初体面する第5話、将軍さまは新右衛門さんに評判のとんち小坊主の顔の下に自分に敵対するような意思を持つようなことがもしわかったら、その場で首をはねてくれるわ!と言い放った。新右衛門さんも驚いてたけど、わたくしも驚いた。これは母上さまの決死の応援と一休さん自身の機転によって、将軍さまと仲良くなることに成功してピンチを切り抜ける。そういう一休さんを見て、新右衛門さんも一休さんを見直すようになる。6話では南朝方・楠家に仕えた千早六蔵という武士が一休さんを迎えに来る。六蔵をアヤシイ奴と見た新右衛門さんは六蔵をマークするが、六蔵は一休さんをなんとか南朝方の武士に仕立てあげようと説得する。一休さんは拒絶し、和尚さんももちろん反対するが六蔵は諦めない。安国寺の兄弟子・哲斉(てっさい)は新田家ゆかりの家の子で、足利家を憎み、いつか還俗して武士になろうと夜中にひそかに武芸の稽古をしていた。哲斉と知りあった六蔵は喜んで迎えるといい、できれば一休さんも連れてくるよう哲斉を説得する。一休さんが帝の子だと知った哲斉は悩むが、自分一人で行くことを決意し、托鉢の最中に出奔する。哲斉の様子がおかしいと気づいていた一休さんは哲斉を止めようとついていくが、待ち構えていた六蔵と新右衛門さんの立ち合いを阻止しているうちに六蔵とともに哲斉は消えてしまった・・・第9話では、正月に和尚さんと一緒に桔梗屋でごちそうになった帰り道、橋の下に住む人達の小屋を武士が無情に破壊する場面に出会う。その翌日、将軍さまが橋を通るので、道中にあるめざわりな物はすべて撤去するよう新右衛門さんが配下に命令したものだったが、橋の下に住む人達は戦災で家をなくして行き場のない人々だった。何もしてやれないまま安国寺へ戻ると、先ほど追われていた人達が風をしのげる寺の門前に集まってうずくまっていた。寺の本堂へ彼らを招き入れたものの、安国寺は貧乏で彼らに提供できる食べ物がない。その中には、さよちゃんが祖父に引き取られる前に一緒にいた少女も含まれていた。一休さんは一計を案じて桔梗屋などの金持ち商人から援助物資を引き出すことに成功し、山ほどのおにぎりを抱えて寺に戻るが、そこにはわずかな人数しかいなかった。どうやら、これから始まる戦のために武士がやってきて、食べ物をエサに男は兵士に、女は飯炊きにするために連れていってしまったらしい。戦のために焼け出されて戦を憎んでいるのに、どうして!と憤り、自分の無力さに悔し涙を流す一休さんだった・・・ウィキペディアには 【1960年代末に日本の民話をアニメ化する企画がこのアニメの原案である。その際、 他の物語が数案あったが、最終的にこの物語に決定した。しかし、衣装の古さや仏教色の 強さなどから、作品が日の目を見るには、本放送期間並みの年月を要することになった。】とあるけど、さもありなん。衣裳は「着物」と言われてフツーに連想するあの着物じゃなく、室町の装束。新右衛門さんは裃なんか着ないし、義満は烏帽子をかぶって置き眉をしている。一休さんの美人の母や桔梗屋の弥生さんは結髪じゃなく垂髪。そして、舞台は寺。一休さんのモデルで実在の人物・一休宗純は臨済僧なので、安国寺も禅宗という設定だと思うんだけど、堂内や小僧さんたちの生活の場などもそれなりの考証がなされている。ただ、少し前に初めて臨済禅を体験したわたくしには、安国寺の座禅は曹洞宗スタイルっぽい気がしないでもないけど、わたくしもシロートなもので余計なツッコミはやめておきましょう。曹洞宗の禅は「ひたすら座禅」がおおざっぱな特色で、臨済宗は「公案」・・・いわゆる「禅問答」も使う。「一休さん」の中でよく出てくるそもさん!(什麼生:さあ、答えられるか?)せっぱ!(説破:おうよ、答えてやるぜ)で始まる数々の問答は、公案をもじったようなものなのかと妙に納得しました。もちろん、子供向けアニメなので番組内ではなぞなぞといった程度ですが。ただ、各設定は気軽にアニメ化できるような内容でもないので、歴史ファンの視点であらためて観るとなかなかの意欲作だったんだな~と感心しました。桔梗屋さんが贈り物を持って寺にやって来た時、小坊主の一人は「1つ贈り物をするたび、極楽に一歩近づけると思ってるんだからやんなっちゃうよ」と言っていて、さりげなく仏教的な内容も盛り込まれてるのにはマジ驚きました。ウィキによると当初の放映期間はかなり短かったようなのに、難しい時代・題材を扱って長寿の人気番組に仕立てあげたんだから、大したもんです。まあ、室町当時に寺社奉行は存在しなかったとか、一休宗純が少年の頃には将軍は義満じゃなかったとか史実とは違う点もあるようですが、そこはフィクションだからね。わたくしの母親も、「再放送、やらないかしらね~」と言ってました。わたくしも今のところ、アマゾンで金を払って観ている状態で、しかも全話配信されていないようなので、タダで観られる再放送を願ってやみません。大人の鑑賞にも充分堪えられる、深いアニメです。てか、大人が歴史や仏教の知識を持って真面目にじっくり観る方が、このアニメの良さがわかるかもしれません。どう、観たくなったっしょ?にほんブログ村