亀渕昭信さんからタブレット純さんにメッセージが届きました!
ラジオ日本『タブレット純 音楽の黄金時代』2024/5/4放送(31分10秒~)4/27に加藤和彦さん特集でカメカメ合唱団(昭和45年 ニッポン放送のDJだった亀渕昭信さんの一人4重唱)の「ココロのシャンソン」(作詞:赤塚不二夫 / 作曲:加藤和彦 )が放送されました。そして翌週「カメの歌が放送されていたぞ」と友人に教えてもらった亀渕さん(1942年生まれで82歳)からタブレット純さんにメッセージが届きました! Wikipediaで調べると、『亀渕昭信のオールナイトニッポン』(1969-1973)が有名で、ニッポン放送の社長もなさったのですね。1970年ビアフラの飢餓の際に、亀渕さんがリスナーに「ビアフラに米を送るよう外務大臣に手紙を書いて」と呼びかけて実現した(米を5000トン送った)ということを知りました。ラジオに力があり、政府も応えてくれる、ある意味、良い時代だったのですね。新谷のり子さんの歌「フランシーヌの場合」(1969/3/30にパリで焼身自殺したフランシーヌ・ルコントさんを題材にした歌)と重なりました。~~~~~~~~~~~~~●Wikipedia引用(亀渕昭信の項):1970年に、ビアフラ戦争とその終結に関する新聞記事などを紹介しながら、ビアフラ(ナイジェリア南東部)の難民が食糧危機により異常な飢餓状態に陥っていること、それについて国際赤十字が各国に支援を要請していること、一方で日本では古米が余っているということに触れ(きっかけはこれらの記事を亀渕の母親が見て「余った米をビアフラに送ればいいじゃない」と呟いたのを聞いて思い立ったからだったとのこと)、この番組において『ビアフラに沢山の米を送れるように、外務大臣に手紙を出そう』と呼びかけた。この時、上司に無断での呼びかけだったことから亀渕は「内心ビビってた」ということだったが、その後約3000通もの手紙が外務省に届き、これがきっかけとなって政府は米約5000トンをビアフラに送ることを決定した。後に外務省を訪れた亀渕と、当時の外務大臣・愛知揆一が一緒にVサインをして写真におさまっている。●外務省にハガキが3000通 『オールナイトニッポン』伝説「ビアフラへ米を送れ」事件の顛末 2023.04.03 07:00 週刊ポスト記事引用:内戦の惨状と日本の古米余りの記事を、おふくろが読んで「余った米をビアフラに送ればいいじゃない」と呟いたのがキッカケなんです。翌日、「霞が関の外務省に『ビアフラへ米を送れ』ってハガキを送って!」と喋った。上司に無断だったから、内心ビビってた(笑)。だけど、3000通を超えるハガキが外務省に届いて閣議決定して支援の米が送られたんだから驚きました。https://www.news-postseven.com/archives/20230403_1853953.html/2#goog_rewarded