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テーマ:アニメあれこれ(26381)
カテゴリ:映画
先日仕事を休んで、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』を見てきた。正規に手続きを踏んで休んでいるのだが、勤務時間中に映画を見るというのは、何となく背徳的な匂いがするもの。
序と同じく、今回も血が飛び散り内臓が出たりと結構グロい。シトが死ぬときは、オリジナルは十字の光柱が立ち上がるのだが、劇場版は、コアの破壊とともに、辺り一面血の海になってしまう。ナウシカでもドロドロに溶ける巨神兵を手掛けた庵野監督の趣味か?このグロい画面で「今日の日はさようなら」とか「翼をください」を流すものだから、どうかねと思ってしまうのだけど、まあ確かに話の意図に沿った選曲ではあるよね。画面との違和感もわざとの演出なのだから。 話の流れがオリジナルの線に沿っているのは変わらないですが、『序』と違って細部に大分変更がかかりましたね。あのマリさんというのは何者ですか?眼鏡だし。近視というのは、パイロットには致命的だと思うけど。エヴァは、14歳の子供でないと操縦できないというのがキモだった気がするのだけど、もっと年上に見える。それにエヴァには魂があって、故にうまくシンクロしないと操縦できない(今回も初号機がダミープラグを拒否する場面がありましたが。)はずなのだが、この人はどんなエヴァでも大丈夫なわけ? オリジナルのトウジの役目を、今回はアスカが担っていて、トウジはエヴァに乗らなくて済んでいるのだけど、妹が怪我で入院するというのはトウジがエヴァに乗るという伏線にもなっていたはずなのだが妹はあっさり退院。代わりにアスカが3号機に乗ることになるので、シンクロというのは今回あまりこだわりがないのだろうか?で、このアスカの欠けた穴を埋め弐号機を操縦させるのにマリさんというキャラが必要になったのか?トウジを温存するというのは、次回に何か役割があるのであろうか? 今回は、レイがちょっと人間らしくなって、かわいくなったです。シンジとも心の通い合いが見られたし。「わたしが死んでも代わりはいるもの。」と言いつつ、今回は死ななかったしね。このまま、シンジはアスカではなく、レイとひっつきそうな勢いですが。と思いつつも、前作の劇場版『THE END OF EVANGELION Air / まごころを、君に』でも、レイはゲンドウを拒否してシンジを選んでいるから、レイは、リリスになって全世界を覆い尽くし、世界を再構成する意志がシンジに預けられるという結末の流れになるのなら、今回も結果的には、やっぱり同じか?次回はアスカも復活するみたいだし。あとは、マリさんは何をする人なのかということですね。謎のキャラ。 →トップに戻る お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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