テーマ:ゴハンな話(450)
カテゴリ:少食について
『美味しんぼ』の山岡とゆう子が結婚したのは
『美味しんぼ』単行本47刊で描かれています。 その結婚披露宴は二組の披露が行われます。 もう一組は二木まり子と近城勇。こちらが至高のメニュー側として、 海原雄山が料理を担当する訳ね。 その中で山岡とゆう子の担当する究極のメニューの一つに 懐石料理があったのね。 ここからは山岡に語ってもらいましょう。 山岡:日本人が食文化をどれだけ大事にしてきたか、 それを物語るのが今、皆さんの前にある懐石です。 いうまでもなく、懐石はそもそも茶の湯で出される料理なので、 茶道の精神に則っています。 一番のご馳走は、高価な材料を使った料理ではない。 料理に込められた、主人の客に対する心遣いだ。 主人は、客をもてなすために心を尽くす。 客はそれを味わって主人のこころばえを感得する。 こうして深いところで主客の心が通じ合い、 料理は単なる口福の快楽を越えた感動を与えるものだ、 という認識が確立したのです。 懐石がなかったら、日本料理はその思想的な主柱を 構築できず、単なる美食趣味の範囲から出なかったでしょう。 そして、世界中の料理文化でそのような思想的主柱を 持っているのは、日本料理だけです。 今、皆さんにお出しした懐石を作るにあたっては、京都、 というより日本で最古の歴史を持つ料亭である 「瓢亭(ひょうてい)」の当主、高橋英一さんに いろいろ教えていただきました。 「瓢亭」については、皆さんよくご存知だと思います。 え~? あたしゃ知らなかったですよ~。 まあ、披露宴に出席している人たちはご存知なんでしょうが。 京極:ご存知も何も、京都の南禅寺の「瓢亭」いうたら、 日本の宝物のような料亭や。 陶人:豪勢でぜいたくな料理は出さんし、派手な演出もせん。 しかし、あの店の料理は"豊饒"という言葉の真の意味が わかるような料理じゃよ。 山岡:料亭としての創業は享保8年といいますから 270年以上の歴史があります。 披露宴会場の皆さん:ひええ!そりゃすごいね! 山岡:当主の高橋さんは14代目、270年以上も親子代々 受け継がれてきた料亭の例は、中国にもフランスにも ありません。 約400年前の掛茶屋に始まり、料亭に衣替えして、 懐石料理に洗練を重ねて伝えてきた「瓢亭」の 存在自体すばらしいものだが、そんな「瓢亭」の 存在を可能にし、支持を与えてきた日本の伝統というものが、 何よりもすばらしい。 二木会長:たしかにそのとおり。店を継ぐ側にもその店を 愛する側にも食文化を大事にする伝統があってこそ、 ひとつの店が270年もつづくのだ。 二木会長:たしかにそのとおり。店を継ぐ側にもその店を 愛する側にも食文化を大事にする伝統があってこそ、 ひとつの店が270年もつづくのだ。 山岡:千利休が懐石の概念を確立して400年。ということは、 日本人は400年かけて懐石料理を磨き続けてきたわけです。 そして磨き続けてきた証人のひとりが、「瓢亭」なのです。 懐石というひとつの料理を、400年かけて磨き続ける 文化的伝統。この日本の文化的伝統が、何よりも貴いと われわれは思う。 会場の人:うむ、その通りだ。 言われてみれば、これは誠に貴い・・・・。 山岡:そのような文化的伝統がなかったら、「究極のメニュー」を 作って後世に遺しても無意味です。 たかが食べ物によって心の底まで感動させる、 そのような文化の伝統をわれわれは前の代から受け継ぎ、 次の代に引き渡す。ここに、「究極のメニュー」作りの 意味があるのです。 南禅寺「瓢亭」 http://hyotei.co.jp/ 【美味しんぼ塾】『美味しんぼ』(47) http://oishimbo.jp/modules/weblog/index.php?user_id=0&cat_id=47 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年02月17日 15時12分24秒
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