テーマ:暮らしを楽しむ(384497)
カテゴリ:こころ
主人が飲み会に出かけた。
久々に食事の支度が要らないと思うと、自分の食事もおろそかになる。 夕方の空腹をお菓子で埋めた後、延々とグータラを決め込んでいる。 食事をしようと思うけれど、いつまでに・・という制限もない。 音訳講座に通っているときに、先生から「あなたは料理を作らないでしょう。」と言われた。 「残念ながら、私は三度きちんと作るし、何でも手作りしますよ。」と答えた。 先生のお見立ては案外、当たっていたのかもしれない。 同じように、主人にもよく「お前はグータラや。」と言われる。 これに対しても「私がいつグータラをした?いつもきちんとしてるやろう。」と納得させる。 私が見かけの印象と全く違う生活ができてるのは、結婚したからかもしれない。 自分では無理をしているつもりもなく、それなりに日々を楽しんでいる。 けれども、好奇心は相変わらず旺盛だから時間が許せば好きなことに没頭してしまう。 仕事であれ、趣味であれ、制限がなければ面白くなってやめられないことが多々ある。 強制的な歯止めも、時には必要だったのだと、今にして思う。 私の中に或る厳しさは、結婚してからの人生で得たものらしい。 独身の頃、自分が窮屈だと思っていたことが実は大したことではなかったことにも気付く。 状況の変化が与えるものは、果てしない可能性を秘めているようだ。 にほんブログ村 別窓で開きます 日常の小さなできごとを愛する生活
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