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2006年09月29日
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カテゴリ:主に法律関連

 

asahi.comより

 杉浦法相が死刑執行命令書に署名を拒否したまま26日の任期を終える見通しとなった。法相の判断で死刑を執行しないのは、93年に後藤田法相が死刑執行を再開して以来初めて。

 世界的には死刑廃止の傾向が強まり、日本では犯罪被害者の意向を反映した厳罰化が進んでいる。

 93年の執行再開以来、5カ月以内に退任して判断を求められなかったとされる4人を除けば、「法相の判断」として執行しなかった例はない。

 一方、毎年の執行数は1~3人程度と減ってきており、9月15日現在で未執行の確定者は89人に達している。

 杉浦法相は昨年10月の就任会見で死刑執行について「私はサインしない」と明言し「心の問題、哲学の問題」と説明。1時間後に撤回したが、周囲には「本音が出た」と漏らしていた。

 法務省の事務当局は法相との攻防を任期最終盤まで続けた。「ほかの大臣だったらここまでしない」。法務族の中心人物で弁護士という、法務行政を知り尽くしているはずの人物に「人が人を殺せるのか」と疑問を投げかけられては、制度の根幹が揺らぎ、今後の執行に大きなマイナスになるとの危機感があった。

 「中長期的には死刑廃止でいいかもしれないが、社会がこれだけ犯罪被害者に振れている中では、手順を踏まないといけない」という考えも、法務当局の中にはある。

 今夏。こんな「説得」も行われた模様だ。

 「職責を全うした大臣が終身刑の創設を法制審に諮問するなら重みが違うが、今サインしなかったら逃げているだけだと思われますよ」

 本格的な説得は9月初旬から約1カ月にも及んだ。法務当局は3人の死刑確定者をリストアップし、法相に概況説明。法相は「自分で記録を読む」と言い出し、「キャビネット一つ分」はあるという書類を、大臣室に持ち込むよう指示した。

 法務当局は何度も法相と面会。「今までの功績が台無しになります」などと懸命の説得を続けたという。さらに、官邸の突き上げも激しかった。松本智津夫死刑囚の死刑確定を受け、小泉首相は「いかなる刑でも、整然と執行されるべき問題」と発言した。

 9月上旬。法相は自らも門徒である浄土真宗大谷派の幹部から「執行拒否の信念を貫くように」と激励文をもらうなどした。その時の反応から、「内々だが、サインしないとの確信を得た」と幹部。同派の僧侶らとは3月にも会い、「意外と隠れ死刑反対派は多いんだ」と自民党の大物に励まされた話も披露した。

 「思ったよりも市民は理解を示す、世論は厳罰化に向いていても死刑執行にはまた別の感情があるのかもしれない、という政治的な勘があったのではないか」とある法務省幹部はみている。

http://www.asahi.com/national/update/0925/TKY200609250442.html

 

 この記事に関する評論家の潮匡人氏のコメント

 「この法務省の幹部も,そしてまぁ,この記事を書いた方もですね,このことを,ま,どちらかというと肯定的に評価されているんでしょうね。・・・「心の問題」,「哲学の問題」といいますが,しかしながら先ほどご紹介した死刑判決(※)についても論告求刑した検事にも,死刑判決を書いた判事にも,それぞれ心があり,哲学があり,当然ながら家族もい,周囲のえー,友人もたくさんいるんです。そうした人々が,その信念をかけて,判決をし,確定をして,最後にサインをする法務大臣がこんなことやって許されるんでしょうか。・・・私は以上の理由でこの杉浦さんが,史上最悪の法務大臣ではないか,というふうに思います。もし死刑制度は絶対に反対だと,それが自分の哲学だ,心の問題なのだとおっしゃるんだったら,法務大臣を受けなければいいことです。就任しておきながら,法律上の根拠がある,義務がある行為を放棄すると,こんな勝手が許されるんでしょうか,ということを,私は今日声を大にして申し上げておきたいと思います。」平成18年9月26日放送のチャンネル桜 『防人の道 今日の自衛隊』より)

 ※:この記事の紹介の前に奈良の女児殺害事件について死刑判決が下された記事が紹介されている。

 

 自分個人としては以前この記事についてはコメントをしたことがありますので,前法務大臣の死刑執行拒否の態度については特段付け加えることがありません。

 今日取り上げたいのは,上記の記事で赤字にした部分,すなわち,杉浦法務大臣に「執行拒否を貫け」と激励した宗教団体の態度についてです。

 

 自分は特定の宗教を信奉しているわけではありませんが,特定の宗教がそれぞれの哲学を持ち,信念を持ち,主張を持っていることは理解していますし,それを尊重しているつもりです。

 しかし,ある特定の宗教団体が,その信者が公務についていて,特定の法律上の義務を遂行しなければならない立場にある場合に,「そのような地位から退きなさい」と忠告するならばともかく,そのような地位にあることを肯定しつつ,「法律上の義務を履行するな,遂行するな」と檄を飛ばすような行為はおよそ宗教団体にあるまじき行為であると考えます。

 公務員(大臣も当然公務員ですから)はひとたび公務員という地位についた以上は,その職務中は「全体の奉仕者」であり,そこで要求されるのは公務の忠実な遂行です。もしこれを宗教的な理由で拒否できるとあれば,たちまち公務は停滞し,行政の沈滞を招き,国家は立ち行かなくなるでしょう。そのとき困るのは,ほかならぬ我々国民です。

 つまり,この場合宗教団体は「国民に迷惑をかけよ」と檄を飛ばしているのに等しいのです。これが公益団体たる宗教団体としてふさわしい行為であるとはとても思えません。

 

 さらに仮にこんなことが正当だといいはじめたならば,国家は行政の沈滞を防ぐため,特定の宗教を信じる人は公務に就任させるべきでないと考えても不思議ではなく,ひいてはおよそあらゆる宗教の信者につ「いて,その公務就任制限を正当化する口実を国家に与えることにもなるでしょう。信者の方々はそれでもいいのでしょうか。

 

 以上から,私は,ある公務員においてその信ずる宗教と公務の遂行とが矛盾する場合,当該宗教団体がなすべきことは,その公務員に責任ある地位から降りるように忠告することであり,公務を遂行しないよう檄を飛ばすことではないと思います。そうでなければ,迷惑するのは我々国民なのですから。

 

 私は上記アサヒの記事を見て,浄土真宗大谷派に対して,申し訳ないですがあまりいい感情を持たなくなりました。そしてますます何か特定の宗教を信じてみようという気が失せました。

 

※ 平成19年1月12日,ジャンル変更のため更新






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最終更新日  2007年03月25日 15時40分33秒
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