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2005年07月18日
XML
カテゴリ:仕事
 19日の午前2時少し前。
 家に帰ってから、約1時間が経ちました。

 2000年8月の世界初挑戦の時から、徳山君の
 世界戦はすべて現場で見て11戦目。その中でも
 一番スリリングな試合でした。
 初挑戦の時は、1回にペースを握り、4回にダウン
 を奪うわ、で快勝すぎて。危ないシーンもなかった
 し。

 18日の試合は違いました。
 なんといっても、前回、1回で倒された相手との
 戦いですから。僕らは知っているのです。徳山君は
 川嶋君のベストパンチに耐えられない、ということを。
 どんなにポイントをリードしても、手に汗握って
 しまったのはそのためで。

 まあ、そんな新聞で記者が書くようなこと、ここに
 書いてもしょうがないわな。オレも、徳山君の原稿
 書いて来たけど、余計同じもんは書かへん、って気に
 なってて。

 1月に広島から戻ってきて、彼とは電話で2度ほど
 話しただけ。練習場でも、僕が遅刻して行ったり、
 他の記者の質問で充分と思ったり、で全く取材らしい
 取材も、友人(?)としての言葉もかけなかった。
 
 徳山君が初挑戦した頃は、僕は関西のボクシング記者の
 元締めみたいな役割を任されていて。テレビも付かない
 世界戦、というのを組んだ金沢ジムも素晴らしい英断だった
 けど、いろいろ調整するのに僕も一役買うところもあって。

 「なんとなく、勝てそうな気がする。勘ですけどね」
  世界初挑戦を控えた2000年7月末。ジムの近所の茶店で
 徳山君と二人で話していた時の、彼のつぶやき、願望。
 まだ、ボクシング関係者以外、誰も知らない頃、そして
 不利の予想の中。あの時点では、僕も完全に気持ちをリンク
 出来ました。僕も、何者でもなかったから。

 5年を経て。
 18日の勝利で、元々、眩しい存在になってた人が
 もっと違うステージに行ってしまった、という感じ
 が。臆して話せない、と言うんでなく、自分が恥ず
 かしい、という感覚。
 
 広島にいた3年半で、何者にもなれなかった自分をど
 うしても、自分が許せない、っていう感覚が僕にはあ
 って。誤解ないように言うと、何者かになる必然性なん
 てない。ただ、それで満足出来なかった自分がいて、満
 足出来ないんなら何とか努力なりしとけ、と思ってしま
 うわけで。

 王座を転落していたとは言え、徳山君は8度も世界(世界!)
 の頂点を守り通した人になっていたわけですから。

 きのう。
 試合後の、控え室で、他の記者に混じって久しぶりに
 質問はしてみました。きちんと答える彼の姿には昔と
 変わるところなんてそうないように思える。しかし、
 聞くこちらの気持ちは、そして、なんとなく義理も果た
 してない気がして。

 義理ってなんなんだろうか?

 どうせ、馬鹿ほどメール攻撃にあってるに違いないので、
 “おめでとう”のメールも打たない形で、今日の一夜明け
 会見には行きます。

 気持ちの上で、普通に彼と話せる日は戻ってくるのだろうか?
 彼の問題ではなく、僕の問題。
 どうしてここまでスポーツ選手と係わることを
 避けてしまうようになったのか?

 単にスポーツをやってるだけで知り合い、友人って
 やつには変わりがないはずなのに。
 会社とのごたごたは、彼らとの付き合いに影響を
 及ぼすほうがおかしいことでもあるし。

 本当に、勝って良かった。
 同時に、自分のこの度量の狭さ、
 これって、小説を書くための鍛錬=人の観察、
 っていうのを自ら放棄してるってことじゃあ?
 つまり、「ボクシングをなめてた」と川嶋選手に
 TKO負けした試合を徳山君は振り返っていたけど、
 「小説をなめてる」っていうことになるんじゃあ?

 どんな理由であれ、人を避けて良いものが書ける
 力量なんか、僕にありはしない。
 もう一度、人との係わりからやり直し、しないと
 まともなモノなんて書けるわけがない。

 相手に怪訝な顔をされようと、過去につながり
 のあった人との関係を出来る限り再構築したい。

 単純に、そう思った夜。
 それが18日、大阪市中央体育館での夜でした。

 (下)2001年6月1日。私の大阪から広島への転勤の
 仲間うちでの送別会に参加してくれた徳山君が、当時自分が表紙に
 なっていた「AERA」誌上に、僕のために書いてくれたサイン。
 ついでにいうなら、あのあと6月6日に広島へ引越しして
 部屋で荷を解いている時、つまり広島着第一号で「そっちは
 どうですか?」の電話をくれたのが徳山君でした。
 5月に韓国での2度目の防衛戦に成功した直後。

 徳山さあ、オレの渡したホイヤー、まだ持ってるんかな?
 会社に対する愚痴ばっかり言ってるうちに、恥ずかしい
 ぐらい私は人間が磨耗してしまって。まだ、間に合うか?
 やれるだけはやろうと、決心はしたよ、さっき。





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最終更新日  2005年07月19日 02時38分50秒


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