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すべての雲は銀の裏地を持っている。。。

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2011.11.04
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カテゴリ:韓国・北朝鮮
>李王家が自ら創氏改名して、日本名を名乗っていたら…”強制があった”と結論付ける事ができるのだが…<

という事だが、それはすでに

『創氏改名の真実』
http://kurokango.blog50.fc2.com/blog-entry-65.html で次のように説明している。


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1937年日中戦争が始まると、日本軍の朝鮮人兵士つくりのために「内鮮一体」のスローガンが掲げられた。
こうした皇民化政策のために総督府が企図したのが「創氏改名」である。

1940年2月11日から施行されたこの法令は、全ての朝鮮人に強制され、全員が戸籍の上で「氏」を持つようになった。しかし、その「氏」をどのような名前にするかは六ヶ月間に自分で申告する仕組みであった。つまりそこだけが自由選択だったのである。

では、申告しないとどうなるのか?
「姓」がそのまま「氏」になり、登録されたのです。
だから、それ以後も李〇〇と言う人はいるが、それはすでに「李」という姓ではなく「李」という氏なのです。


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本当に、もう少し本を読んだ方がいいですね。

おすすめは『世界の名著』シリーズです。

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ふと、疑問に思ったのだが…そもそも李王家って。日本の皇室に相応するような待遇だと言う事なので…我々庶民と同じように戸籍なんてあるのかな。日本の皇室には、いわゆる、我々庶民と同じような戸籍なんてないと思うのだが…
それとも皇室にも強要された法律なのかな。
皇室典範を調べて見るしかないのだが…僕は、読解力がないので…また教えてください。

まあ、こういう話をすると…だんだん面倒くさくなるので…
もういいかなとも思うんだけど…

きちんと整理しておきたいと思い、ここに記録しておく。

それと、この人が言っているように、読書はどんどんしなければいけない。

シックの皆様、活動ばかりしていると…だんだん思考力も低下していきます。
まあ、自分が良い例だと思いますので…反面教師にしていただいて…
僕もね、キャラバン生活が長かったので…その時、み言葉というものは、ほとんど忘れてしまった。そう、原理の内容もその時は、忘れていた。
如何に物を売るか!そればかりだったものね!!


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


ウイキペデイアによると…

李王家に関して以下に記されている。

1910年の韓国併合ニ関スル条約は、その第3条で「日本国皇帝陛下は韓国皇帝陛下太皇帝陛下皇太子殿下並其の后妃及後裔をして各其の地位に応し相当なる尊称威厳及名誉を享有せしめ且之を保持するに十分なる歳費を供給すへきことを約す」(片仮名を平仮名に改める)として、韓国皇帝以下韓国皇族に対し、相応の待遇や称号付与をすることを定めていた。

また第4条ではそれ以外の韓国皇族についての類似の規定をしていた。この条約に基づき、王公族として李王家が立てられ、日本の皇族に準じる待遇を受けた。「王」「王世子」「公」等の身位と、殿下の敬称が与えられた。

1947年(昭和22年)5月3日の日本国憲法施行に伴い、その身分を失った(身位喪失)。

また「日鮮融合」のため、李王垠は日本の皇族・方子女王と、他に李鍵公や李徳恵も日本人(華族)と、それぞれ国際結婚が行われた。しかし戦後、李垠・方子夫妻以外はそれぞれの理由で離婚している。








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最終更新日  2011.11.04 22:42:37
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