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意味深なタイトルですね♪
何のことはない。ただ、マイ・リトル・ラバーのナンバーですね。その、マイ・リトル・ラバーもすでにあまり活動をせず、年数回のコンサートをするぐらいだ。機会があれば…参加したいと思っているのだ。 この信仰の道に入って、かれこれ30年近くになりますね。ただ、信仰暦が30年ってことはないですけど・・・(笑)もうすでに足を洗っているからだ。この文章も何年も前に書いたものを加筆して修正を加えているのだ。 91年、92年、93年くらいは、がんばっていたかもしれませんね。つまり、熱心に信仰していたと思います。その後は、ある意味、惰性的なものもあったかもしれません。このまま、ずーーと信仰したら、どうなるのだろうという漠然とした疑問、不安というものがありましたね。 何も、スキルアップもしないまま・・・ただ、生かされているだけ・・・そんな感じでしょうか。 勤労青年ならば・・・勤務する会社もあれば・・・そこで、スキルアップもできただろうし・・・ 別の世界も見ることができただろうし・・・何かこう逃げ道があったかもしれませんね。 信仰が嫌になれば・・・すぐに軌道修正も容易ではないかとも思える。 勢いで献身した場合は・・・もうそこしか頼るところはないわけで・・・ずるずると、そこに居るしかなくなる。摂理に自分の未来を見ることもできず・・・ただ、もんもんと思い巡らせる。 しかし、いろいろ考える時間を与えないように、毎日、毎日やることが決まっていて・・・ ただ、日々こなすだけ・・・何も考えさせないようにしていたんだろう。来る日も来る日も苦しくて… 何が希望だったのだろうか?祝福?これからの未来? そこを過ぎてしまって、今があるわけですが…長いトンネルの先に光は見えたのだろうか? 今、光の中に包まれていいるのか?いや、何もない。喪失感だけ… 最近は、やたら、本を読むようにしている。なぜかというと、物事をあまり深く考えられなくなっているからだ。つまり脳を鍛えているのだ。 昔、ビデオセンターに通ってる頃は、ビデオを観るたびに感想文を書くのだけれど、その感想文が、紙いっぱいになるくらい書いていたように思う。今は、文章が書けなくなっている。 あの頃、いろいろなことを思う存分書いていた。ある時、ふと、”こんなこと書いていて・・・どうなる?何になる?という素朴な疑問?話を聞いてくださるカウンセラー(?)の人を困らせてるだけではないか・・・という思いが・・・それ以後、比較的に素直にここで言われることを受け入れるようにしたと思う。そこから、転落(?)人生のはじまり・・・ 考えることを止めたということかもしれません。(この続きは、また後ほど・・・) (歌詞) 空の中で夢見た 無数の枝わかれと 自分の未来を 見たような気がして 目が覚めた 僕はここで生きてる 僕はここで想ってる 自分の明日に つながりを求めない oh 心がにじんだ 夢のほとり かけがえのない 日々のほとり 僕は生まれゆく 時の中で 悲しさの仕草など 忘れてゆく 忘れてしまうから お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019.03.23 14:45:50
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