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そういえば今秋は、シュツットガルト・バレエの来日も予定されてるんですよね。
関西でも、12月2日に「オネーギン」、12月6日に「眠り」が上演予定だそうで、これは前回来日時、関西では「ロミジュリ」のみの公演だったことを思えば、2演目とも上演して頂けるのは嬉しい限り!ではあるのですが・・ え~、多分私は観には行かないです。「オネーギン」は3年前、東京まで観に行きましたし、感想もこちらに書かせて頂いてるので繰り返しになりますけど、正直あまり面白いとは思えなかったので。別に、主役に不満があるとか、演出、振付が気に入らないとか、そういう理由からでは全くなくて、ただ単に、私の好みじゃないから、ただそれだけの理由からです。 今回大阪ではタチヤーナをアリシア・アマトリアン、レンスキーをフォーゲル君が演じるそうで、アリシアちゃんのタチヤーナは観てみたいなぁ、と思ったりもするのですが、う~ん、やっぱりいいや。だってタチヤーナって、私から見ればほんとにつまらない女なんだもの! この辺りのことはもう以前にも何度も書いてることですので割愛しますけど、こんなつまらない女を主人公にした作品が何故こんなにも人気があるんだろう・・いや、違うよね。私の感覚がおかしい、異常なのであって、世間一般から見れば、つまらない女なんてことは全然ないんだよね。どころかタチヤーナはロシア文学史上に燦然と輝く、ロシアにおける理想の女性として、今も多くの人を魅了し続けてる存在らしいし。私は原作を読んだことが一度も無いので、原作を読んでみたらまた違った感想を持つのかも知れないけど、少なくともクランコの「オネーギン」におけるタチヤーナという存在には、私は少しも心惹かれない。あまりに優等生過ぎる彼女の生き様が、私には正直ほんっとウットオシイというか何と言うか。で思ったんだけど、タチヤーナとオネーギンの立場を完全に入れ替える、ってのはどうだろう?つまり、垢抜けない田舎貴族の息子、オネーギンが、ぺテルブルクからやってきた美しいタチヤーナに初恋の炎を燃やし、熱烈な恋文をしたためるも、彼女は全く相手にせず。数年後、オネーギンに再会したタチヤーナは、気品溢れる素晴らしい貴族となったオネーギンに激しく心を揺すぶられ、彼に思いの丈を訴えるも、今は夫となったオネーギンは、心を動かされながらも彼女を拒絶・・なんてストーリーだったら面白いのに(笑)。いや、妄想が過ぎました。この作品がお好きな方にはすみません、です。けど、この手の逆ヴァージョンの話の方が、私はよっぽど面白いだろうと思うし、観てみたいと思うのよね。勿論タチヤーナは、生まれながらの貴族のご令嬢で、ペテルブルクの社交界で散々蝶よ花よともてはやされ、「女王」として君臨するも、こうした虚飾の世界が嫌になり、田舎へとやって来る。田舎の純朴な少年であるオネーギンの眼に、彼女はそれはそれは輝いて映る。けど彼女はペテルブルクの虚飾の世界で散々もてはやされたがゆえに、世の中に対し、すっかりシニカルになってしまっている。美しく、誰にも負けないくらいの教養の持ち主、けど気位(ばかり)が高く、この世に自分と対等な存在などない、と思い込んでいるような女、タチヤーナ。もの凄く嫌な女、タチヤーナ。こんなタチヤーナだったら私は大好きになるよ、多分(笑)。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年10月02日 03時49分17秒
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