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フィギュアスケート時々バレエ~浅田真央とパトリック・チャン応援記

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2009年02月28日
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木曜日はハンブルクバレエ「椿姫」の公演へ行ってきました。
兵庫県立芸術文化センターに行くのは初めてだったのですが、本当に素晴らしい劇場で大感激。今のところ、日本で一番素晴らしい劇場ではないでしょ~か?唯、ロビーからの眺めは、ショッピングセンターか何かで、思いっきり現実感がありましたが・・ロケーションの素晴らしさという点では、びわ湖ホールに勝る会場はないでしょうねぇ。あのホールは休憩時間にホワイエから眺める琵琶湖が、本当に心を和ませてくれますよねぇ。唯まぁ関西の中心部ということで、フェスティバルホールが休館中は、殆どのバレエ来日公演は西宮で行われることになるみたいですね。滋賀県民の私からすれば若干不便になった感は否めないのですが、まぁあれだけ素晴らしい劇場ならよしとしましょう(笑)。3つのホールが観客を奪い合うのではなく、共存共栄していってくれることを願いますわ。唯そうは言っても電車で一時間圏内の地域に3つもの立派な劇場があるというのはどうなんでしょうね?これが東京なら問題ないと思いますが・・
とまぁ前置きが長くなってしまいましたが、観てまいりました。ノイマイヤーの「椿姫」。
ずっとずっと生で観てみたい!と思い続けていた作品ですので、本当に楽しみだったのですが。え~、結論から申しますと、「そこまで」引き付けられるということはなかったです。
いえ勿論素晴らしかったのですよ。私は映像でしかこの作品は観てはいなかったので、生の舞台ではこんな風になるんだ~、とかすごく面白かったですし、主役をはじめとするダンサーの皆さんは皆本当に素晴らしくて、正に文字通り「入魂」の舞台を見せて頂けました。
マルグリット役のジョエル・ブーローニュ、アルマン役のアレクサンドル・リアブコ、本当に素晴らしかったです。小悪魔風の魅力を振りまいてくれたプリュダンス役のレスリー・へイルマン、マノン役のエレーヌ・ブシェ、等々、文句の付けようもない素晴らしいダンス&演技でした。舞台そのものがまるで名画のようで、映画のようで、アルマンの回想と過去の出来事(舞台上では現在の出来事)が同時進行の形で進むという演出が何より素晴らしいし、舞台美術から衣装から正に眼のご馳走。主役二人の燃え盛る恋心、情熱から、マルグリットの哀しい、しかし強い決意、事情を知らないアルマンの哀しみ、可愛さ余って憎さ100倍、みたいな行為に及んでしまう彼の、マルグリットに対する迸る熱情、愛するが故にお互いを傷付けてしまう恋人たちの、本当に魂に直接訴えかけてくる名演は、くどいようだけど本当に素晴らしいとしか言い様がないと思った。
とにかくこれでもか!とばかりにダンスが繰り広げられるので、その点に関しても大満足!と成るはずだったんだけど・・マノンの幻影に怯えるマルグリットは可哀相だったな~。私の大好きなマノンが(笑)マルグリットを苦しめる姿を見るのはなかなか辛いものがあった、なんて嘘です、すみません。こういうマノン像は私が勝手に創り上げた「私の」マノンとは全然違うタイプのマノンだから、完全にマクミランの「マノン」とは別物と私は思えたのでね~。けど大筋ではマノンはマノンだから(って何当たり前の事言ってるんだろ、ってか意味不明?)マノンに境遇の似たマルグリットが自分自身をマノンに重ね合わせて見てしまうというのは充分よく分かる。マノンの悲劇的な最後を、結核に冒されていたマルグリットは常に頭の片隅に置いていて忘れる日などなかったであろうし、最後、病をおして舞踏会に出かけたものの、そこで演じられた「マノン・レスコー」に心底怯えきってしまうマルグリットと、彼女を自分の道連れにしようと迫ってくる(ようにマルグリットには見えた)マノンは予め知らなければかなり怖く見えたことだろうな。自分の家に帰り、そのまま息絶えるマルグリットと、手前でマルグリットの遺した日記を読んでいるアルマン。あんなに愛し合っていたのに、この二人のすれ違い、行き違いは本当にやるせない。しかもその原因を作ったのは他ならぬアルマンの父なのだから。アルマンが全てを知った時には、既にマルグリットはこの世の人ではなく・・なんか、あまりにやるせなくて、行き場の無い思いにこれから先アルマンはどれだけ苦しめられることだろうか・・
マルグリットは崇高な自己犠牲の精神を発揮して、アルマンを愛しているが故に彼の元を去る。けれど彼のことを忘れることなど出来ない。アルマンも心底マルグリットを愛しているのに、二人は結局すれ違ったままで終ってしまう。それは結局はマルグリットが、「高級娼婦」であるが故だったのか。「高級娼婦」故の悲劇だったのか。高級娼婦というのは上流階級の男性専門の娼婦みたいな感じだけど?そんな立場の自分と、由緒正しきどこかの坊ちゃんのアルマンとでは、最初から無理な愛だった。最初から結ばれることなど叶わないことが、分かりきっていた恋だった。それでも二人はつかの間とはいえ、幸せだった。幸福だった。アルマンに出会わなければ、マルグリットはもしかしたら生涯、本当の「愛」とは何か、知らずに終ったかもしれない。その分「哀しみ」も知らなかっただろうけれど・・それはアルマンにしても同じことだ。「愛」とは常に「哀しみ」を連れて来る。愛するが故に哀しみ、憎む。愛が深ければ深い程、哀しみも深くなる。憎しみも深くなる。愛って一体なんだろう?そんなことを考えてしまう。
そういえば「人魚姫」もまた「愛」の物語だった。けど人魚姫は・・彼女は「人間」ではない。人間の身体だけは手に入れても、彼女は人間にはなれない。ノイマイヤーの「人魚姫」を見て一番印象に残ったことは、人魚姫が明らかな「異分子」として描かれている、ということだった。子供の頃童話の中で読んだ「人魚姫」は美しいお姫様で、人間になった後でも口こそ聞けないものの、見目麗しいお姫様であることに変りは無く、そんな彼女を何故王子が愛そうとしないのかあまり分からなかったけど、ノイマイヤー版「人魚姫」では彼女は「美しい」お姫様なんかじゃない。むしろへんてこりんな「人間」として描かれていて、王子が彼女に心惹かれなかったのも、ある意味当然だ。考えてみたら当たり前の話で、人魚がいきなり人間になったところで「おかしい」「変」(←人間から見て)なのは当然だ。王子が彼女を「女性」として見なかったのだってこれまた当然と言えば当然の話。人魚姫がいくら王子を想っても、これまた最初から無理な愛だった。結ばれることなど不可能な愛だった。そんな状況に人魚姫はイラつきだす。どうしてこの想いを通じさせることが出来ないのか。慣れない「人間」の姿と、王子が愛する別の女性(王女)の存在が、人魚姫の心を更にかき乱す。彼女の振る舞いは、更におかしく見えるばかりだ。魔法使いは、王子を殺せば元の姿に戻してやると告げる。殺しちゃえばいいじゃん、王子なんて。と、私なんかは思うけど、人魚姫にそれは出来ない。自分の命よりも王子の方が大切なのだ。自分のことを女性だとすら、殆ど意識していない王子の方が。
「椿姫」の二人は愛し合っているものの、ヒロインの社会的立場が、結局は悲劇を招いてしまう原因となった。「人魚姫」の方は、ヒロインは完全に片思いだ。徹底的に片思いだ。どんなに想っていても、通じることはない愛。叶うことはない愛。「椿姫」も「人魚姫」も悲しい愛を描いているということは共通しているけれど、果たしてどちらの方が哀しいのだろう。





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最終更新日  2009年02月28日 20時59分15秒
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