商業と都市の発達
今回は中世の商業と都市の発達について見ていきます。教育実習生の授業の補足です。この部分は多くの人が苦手とする社会経済史で、誰もが教えるのに苦労するところだと思います。今回の授業も、単に名称を覚えるだけではダメです。なぜ?どうして? とその理由を考え、理解することが大切です。今回の授業のテーマは、どのように商業や都市は発達したのか?まず、商業や都市はなぜ発達したのかを見ていきます。キーワードは「物」「人」「金」と言えるでしょう。第一の理由は、封建社会によって農作物が順調に生産され、余剰生産物の交換が活発になったからです。経済力がアップしなければ、当然商業は発達しません。これは「物」に相当します。第二の理由は、ビザンツ帝国ですでに発達していた貨幣経済が、西ヨーロッパにも広がったことです。これはノルマン人の商業活動によって、自給自足の自然経済が商品の流通によって取引に貨幣が必要になったわけです。ノルマン人の活動だけではなく、ムスリム商人の活躍も見逃せません。これは「金」に相当します。第三の理由は、十字軍によって交通網が整備され、遠隔地貿易が活発になったからです。十字軍に従軍した諸侯や騎士たちは、イスラーム世界に行ってこれまで見たこともない商品に出会います。彼らはヨーロッパ以外のモノに魅せられ、その話を聞いたり、実際交易によって産物を見た人たちも、そういう思いを強くしていきました。これは「物」に相当しますが、同時に整備された交通網を利用して「人」が動いたと捉えることもできますよね。さて、ヨーロッパとイスラーム世界の交易が活発になってくると、ヨーロッパ内部でも商業圏ができます。まず、地中海商業圏。北イタリアの都市を中心とするイスラーム世界との商業圏です。ヴェネツィア、ジェノヴァ、ピサ、ミラノ、フィレンツェなどが代表的な都市です。シリアなどのイスラーム世界からは香辛料・絹織物・宝石などのぜいたく品を輸入し、ヨーロッパからはフランドル地方や北イタリアで発展していた毛織物や南ドイツで産出される銀を輸出しました。この貿易を東方貿易(レヴァント貿易)といいます。レヴァントとは、東地中海沿岸をさす地名です。もう一つが北ヨーロッパ商業圏。バルト海や北海周辺を指し、フランドル地方の毛織物輸出地であるブリュージュやガン、ハンブルクやリューベックに代表される北ドイツの都市が中心でした。ロンドンも北海貿易の中心地として栄えました。この商業圏では、ポーランド・ロシア方面の木材、海産物、穀物などの生活必需品が、毛織物とともに取引きされました。そして、この二つの商業圏を結びつける内陸部の都市も栄えました。フランスのシャンパーニュ地方や南ドイツのアウクスブルクなどがその代表的都市です。この内陸部の都市を、内陸商業圏という場合もあります。授業では、これらの商業圏と代表的な都市を地図で確認することが不可欠です。場合によっては、地図を見て商業圏の位置を確認し、それぞれ地中海と北海・バルト海が鍵となっていることを理解させた上で、商業圏の名称を推測させることもおもしろいアプローチだと思います。商業が発展し、都市が繁栄して豊かになってくると、諸侯は都市から利益を得ようとしました。それに対抗して、都市は自分たちの利益を守るために、国王や皇帝と結びつきました。どのように結びついたのでしょうか。都市は諸侯の支配から逃れるために、自治権を獲得します。その自治権は、都市が国王や皇帝から発行された特許状によって認められたのです。でも、都市は自治権を認めてもらった代わりに、国王や皇帝に何かを差し出さなければいけません。ドイツ地方では、皇帝に対して、収入の一部を商業税として納めなければなりませんでした。逆に皇帝は商業税を多く納めさせるために、都市が商売繁盛するように保護しました。このように自治権を獲得しようとする都市と、収入を得ようとする皇帝の利害が一致したのです。フランスでは、大諸侯領内の都市に対して特許状を与える代わりに、都市は国王への軍役を誓いました。こうして都市が自治権を獲得して実質的に自立すると、諸侯たちは皇帝や国王と対立することになっていきます。諸侯は自立した都市から勝手に税金を取れないわけですから、皇帝や国王の懐は豊かになり彼らの勢力は伸張していくのです。ドイツの皇帝(神聖ローマ皇帝)は中世後半には力に陰りが見られるようになりますが、フランスやイギリスでは、こうして都市と国王の結びつきが強くなっていきます。フューダリズム(封建制)が形成された中世ヨーロッパでは、都市も自衛する必要がありました。そこで、諸侯の略奪や圧迫に対抗して、都市同士が同盟を組む場合もあったのです。有名なのが、北イタリアのロンバルディア同盟と北ドイツのハンザ同盟です。ハンザ同盟は、ヨーロッパ各地の都市に在外商館を設置して自分たちの利益を守り、軍隊も所有していました。四大商館はロンドン・ブリュージュ・ベルゲン・ノヴゴロドに置かれました。もっともマイナーなベルゲンはノルウェーにありますが、私は数少ない観光旅行でベルゲンに行ったことがあります。生徒たちに写真を見せて話したかったです。何せ新婚旅行でしたから(笑)。私の海外目的地は、研究調査地のある中南米がほとんどですから、何とかバックパッカーのイメージを払拭させたいのです。といっても、私の新婚旅行は、妻と一緒にバックパッカーみたいな旅でしたけど(笑)。脱線したので、もとに戻りましょう。商業活動で利益を得た上層市民のなかには、富豪も現れることになります。14世紀になるとアウクスブルクのフッガー家やフィレンツェのメディチ家などが活躍しました。フッガー家は銀山経営や金融業で有名で、皇帝に融資する立場になりました。メディチ家は香辛料や薬品貿易で成功し、一族から教皇を輩出するようになりました。ちなみに、メディチ家が薬品(メディスン)の語源になったことは知っていましたか?ヨーロッパの自治都市では、有力商人たちが町の行政組織を形成しました。自治運営の基礎となったのがギルドでした。ギルドとは同業組合のようなもので、はじめに市政を独占したのは大商人を中心とした商人ギルドでした。でも、これに不満を持つ手工業者たちは、同職ギルド(ツンフト)を分離結成して商人ギルドと争い、やがて市政への参加を実現していきます。商人ギルドと同職ギルドとの争いを、ツンフト闘争といいます。同職ギルドの組合員として認められるのは、手工業経営者である親方に限られていました。親方は給料を支払う職人や、住み込みで無給の徒弟を所有しました。これでわかるように、手工業世界には厳しい身分序列があり、大きな身分格差が存在しましたが、諸侯に支配されていた農奴には、都市が自由な世界に感じられました。実際、荘園から農奴が都市に逃げ込んで一年と一日捕まらなければ、自由な身分になれたのです。この状況は「都市の空気は自由にする」という言葉で表現されました。さて、今回の授業の最後の考察は、ギルドの特徴を把握して、それがどのような影響を及ぼしたのかを理解することです。教科書を読んで自分の頭で整理することで、今回の授業テーマである「どのように商業や都市は発達したのか」を振り返ってみました。ギルドは相互の利益を守るために組織されましたが、次のような特徴があったのです。・自由競争を禁止する・商品の品質や価格などを統制する・非組合員の商業活動を禁止するこれは長所でもあり短所でもありますよね。ギルドは市場を独占して経済活動を有利にし、経済的地位を安定させたのですが、統制や禁止事項が多く、その後の自由な経済活動や技術の進展を阻害することになったのでした。