カテゴリ:青春時代「アメリカンシネマ」
パチーノつづきで「セルピコ」
話はいきなりそれますが、「セルピコ」と聞くと思い出す女の子がいます。 高校の同級生で,Sさんといいます。 どんなシチュエーションだったかはまったく覚えていないのですが、何故かその言葉だけはっきり思い出せるのです。 『私、一番好きな映画、セルピコなんだ』 Sさんとはそれほど親しくはなかったと思います。 なので彼女に関する情報はあまりないので、映画好きなのか、アルパチーノが好きなのか、はたまた‘正義’が好きなのかまったく解りません。 ただ、この台詞だけが僕の脳裏に、ポンと飛び移ってきて住みついてしまったのです。 ‘言葉には魂がある’とは、誰の言葉だったか忘れましたが、こういうことですかね。 たぶん、Sさんに今そのことを話しても忘れていると思います。 まだ「セルピコ」は好きかも知れないけど、僕にそのことを話したことは覚えてないでしょう。 だのに僕の方はしっかり覚えている。 そのことによって何がどうなるわけでなく、ただ覚えている。 こうして、「セルピコ」に何かの拍子で触れるとき、Sさんが思い出される。 Sさんの知らないところで。 考えればこのようなことは他にもきっとあるんだろうな。 逆に、どこかの誰かが、なにかに関連して僕のことを思い出しているかもしれない。 そんなことが、お互い通じられたら、驚きで、嬉しいだろうなあ、と思いました。 映画とは無関係でしたが、こうして昔の映画を思い出していると、忘れていた思い出がくっついてくるので面白いなあとしみじみしております。 さて「セルピコ」ですが、警察の汚職を描いた‘告発映画’です。 実話です。 ラストというか、オープニングというか、衝撃的なシーンがありますが、これも実話。 それがなんとも切なくて、憤ります。 警察を敵に回すなんてことは、本物のセルピコ同様パチーノにとっても不利益な選択だったでしょう。 たとえば駐車違反を見逃してもらえなくなるとか。 勇気がある行為です。 ‘賄賂’なんて、大人になって社会に出てみると当たり前で、賄賂とまではいかぬ‘心づけ’などは、却って潤滑油として必要とされるものです。 そこらへんの微妙なところが、大人の判断になるわけですが、ダメだという奴が出現するとダメなことになるんですね。 その時は、はい解りましたと改めれば良いので、裏切り者扱いをしたり、逆恨みをして報復行為などをするからいけない。 本当に良いか悪いかは、最終的には神様が判断することで、民主主義はあくまで仮の決定です。 そんなに目くじら立てずに、とりあえず‘決まりは守りましょう’ぐらいの気持ちでいいんでは? 大人になりすぎた僕は、ほんとあいまいで、その場しのぎで、処世術優先のつまらない人間に成り下がってしまいました。 ‘正義’って言ったってねえ、中東にはいくつの正義の旗がたってるの? セルピコを責めたりけなしたりしている訳ではないんですよ。 30年前のすべすべした精神を持っていた頃を、ため息混じりに振り返って、ちょっとすねているだけです。 あの時のSさん、きっとまっすぐな心だったんでしょうね。 心だけタイムマシンに乗って、裸の心に戻りましょうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年09月24日 06時57分27秒
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