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アルゴリズムの時代(スポンタ通信 2.0)

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2006年08月04日
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ジャーナリズムという言葉がすでに死語だと言う人がいる。知人のマスコミ関係の女性は、言論が弾圧されたときだけ、同僚たちは言論が弾圧されたときに、声高にジャーナリズムという言葉を出すが、それ以外でこの言葉の必要性をあまり感じないという。

私は、「健全な民主主義にとって必要不可欠な世論を形成するためのツールがジャーナリズムである」と定義する。
つまり、ブログ空間や口コミなどは単なる生データであって、それをサンプリングしたい民主主義の実行者たちにリファレンス可能な体裁にする(インテグレート&オーソライズ)のが、ジャーナリズムの役割である。
ネットの登場以前は、生データが限られていたので、その不足分を埋めるために、ジャーナリスト自らがストーリーを作成したこともあった。そういうストーリーは分かりやすさもあったから、大衆に受け入れられもしただろう。だが、現実は、そんなストーリータイズできるような単純なものではない。登場人物が多すぎたり、テーマと外れた動機や偶然が作用しているものだ。生データともいえる情報がやり取りできるネット時代になると、なにせ日本人は刺身好き、白樺派好き。加工品を好まぬ性向がある。メディア感度の高い人ほど、そういうものを愛でるようになる。



先のエントリーで、「インターネットと世論形成。間メディア的言説の連鎖と構想」(電気大出版)遠藤薫・著を引き合いに出したが、大学人である彼女の言説は、世論は形成・される・ものであるとの立場のようだ。
私は、世論は、形成・する・ものであると考える。…誰かが、何かが形成する。それを明確にすることが、主観と客観という永遠の課題を克服できる。

遠藤氏は、2004年の時点で、マス・ジャーナリズムとオルタナティブ・ジャーナリズムのふたつに分けた。
これは、ことのは騒動で話題をさらった人たちが参加していたデジタル・ジャーナリズム研究会と同じ考え方である。つまり、アナログ媒体にデジタル媒体があるということ。
だが、2006年は、ジャーナリズムがふたつのセグメントに分かれる時代ではないと、私は考える。
湯川さんは、ダン・ギルモアのイベントで、既存マスコミに対してレガシーという語を使ったと記憶しているが、レガシー・ジャーナリズムがあり、その外側にコモンジャーナリズムがある。

その意味では、鳥越編集長が自らのメディアに実名参加や道徳的なものを求めることも許容できる。ただ、それはレガシー(遺産・伝統)ジャーナリズムの延長線に形成された市民参加型ジャーナリズムであり、それのみではコモンジャーナリズムは成立しない。いま、開店準備ブログにさまざまな批判や失敗予測が立てられているのも、そういう指摘だと思う。

だが、それをもってして、オーマイニュース日本版が誕生させようとしているレガシー・ネット・ジャーナリズムに価値がないとはいえないのではないか。レガシー・ネット・ジャーナリズムを雪だるまの核にして、その外側にコモンジャーナリズムをつくることによって、レガシーな世界を活性化させることもできる。

ただ、レガシージャーナリズムが自己変革と対話を模索しないならば、コモンジャーナリズムのひとつのセグメントとして成立しない。鳥越編集長が私との対話を模索してきたのなら、新しい展開も期待できる。

要は、「レガシーネットジャーナリズム⊂コモンジャーナリズム」という構図が成立すればいいのだ。
ネット以外のレガシーメディアにしても、社会のリファレンスとして重要な価値をもっている。それは、TBSに5万件を越える意見アクセスがあったことでも明らかである。

リファレンスは多いにこしたことはないのだから…。





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Last updated  2006年08月05日 04時08分37秒
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