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テーマ:暮らしを楽しむ(383654)
カテゴリ:カトリック
第一朗読エフェソ 2・1−10
使徒パウロのエフェソの教会への手紙 〔皆さん、〕あなたがたは、以前は自分の過ちと罪のために死んでいたのです。この世を支配する者、かの空中に勢力を持つ者、すなわち、不従順な者たちの内に今も働く霊に従い、過ちと罪を犯して歩んでいました。わたしたちも皆、こういう者たちの中にいて、以前は肉の欲望の赴くままに生活し、肉や心の欲するままに行動していたのであり、ほかの人々と同じように、生まれながら神の怒りを受けるべき者でした。しかし、憐れみ豊かな神は、わたしたちをこの上なく愛してくださり、その愛によって、罪のために死んでいたわたしたちをキリストと共に生かし、――あなたがたの救われたのは恵みによるのです――キリスト・イエスによって共に復活させ、共に天の王座に着かせてくださいました。こうして、神は、キリスト・イエスにおいてわたしたちにお示しになった慈しみにより、その限りなく豊かな恵みを、来るべき世に現そうとされたのです。事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。行いによるのではありません。それは、だれも誇ることがないためなのです。なぜなら、わたしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。わたしたちは、その善い業を行って歩むのです。 福音朗読ルカ 12・13−21 ルカによる福音 〔そのとき、群衆の一人がイエスに言った。〕「先生、わたしにも遺産を分けてくれるように兄弟に言ってください。」イエスはその人に言われた。「だれがわたしを、あなたがたの裁判官や調停人に任命したのか。」そして、一同に言われた。「どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさい。有り余るほど物を持っていても、人の命は財産によってどうすることもできないからである。」それから、イエスはたとえを話された。「ある金持ちの畑が豊作だった。金持ちは、『どうしよう。作物をしまっておく場所がない』と思い巡らしたが、やがて言った。『こうしよう。倉を壊して、もっと大きいのを建て、そこに穀物や財産をみなしまい、こう自分に言ってやるのだ。「さあ、これから先何年も生きて行くだけの蓄えができたぞ。ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめ」と。』しかし神は、『愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか』と言われた。自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ。」 イグナチオはペトロの2代後の司教としてアンチオケの教会を治めた。 野獣の餌食となる刑を受けるためにローマに護送され、107年にトラヤヌス帝の治世のもとで殉教した。 ローマへ向かう旅の途中で、各地の教会に7通の手紙を送り、キリスト、教会の構造、キリスト者の生活などについて優れた教えを説いた。 アンチオケではすでに4世紀から、この日を彼の記念日として祝っていた。 (カトリック中央協議会刊/日本カトリック典礼委員会編・監修『毎日の読書』より) 聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用です 新カトリック教会小史 [ ノーマン・P.タナー ] お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016.10.17 05:38:05
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