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エイオット・ウィギントンと生徒たち著 片岡しのぶ訳 『フォックスファイアクリスマス』
これはレヴィ・ストロースが『サンタクロースの秘密』で指摘したイニシエーションに通じる考え方である。 すなわち、サンタクロースの「事実」を知ることで、こどもからおとなへとなるのである。 それがイニシエーションだというわけだ。 「それまでサンタクロースはいると信じていた子が、ある日、本当はいないのだと悟る。これは大変な経験だ。その日から、その子は大人の世界の仲間入りをすることになるのだから」 サンタクロースに限らず、この手の話は結構多い。 その中でも、赤ちゃんはこうのとりが連れてくるとかキャベツから生まれるとか言う生殖活動に関した話題は有名だ。 真実を知ることで大人になる。 いや、厳密に言えば、真実を受け入れることができてはじめて大人の世界へと足を踏み入れることができる。 知識として「知って」いるだけでは大人の仲間入りをしたとはいえない。 もちろん、一種過渡期に入ることはあるだろう。 大人は子供を退ける。 子供の世界は大人の世界と違うものと認識する。 大人の世界に馴染めない大人を「子供だから」と蔑む。 子供のしたことを感受するかわり、こちらへの世界へ立ち入ることを硬く禁ずる。 子供への話し言葉は特別だ。 大人同士の会話のような話し方はしない。 子供の行動を監視し、コントロールする。 レヴィ・ストロースによれば、子供は死の象徴となる。 いろいろなしがらみに縛られているオトナ社会。 無邪気な子供だけが縦横無尽に振舞える。 そんな子供は同じ世界に住んでいても、彼岸の生き物として扱われる。 彼岸から此岸へ渡るには閾を越えなくてはならない。 それがイニシエーションではなかろうか。 イニシエーションがなければ、子供はなかなか大人になれない。 それでもある程度歳をとってくれば、周りが大人であることを要求する。 そんな状況にイニシエーションを受けなかったコドモは戸惑う。 一方で、強すぎるイニシエーションは世界を閉じる。 そこにはびこるルールに対応していくのには都合がいいが、社会が開いたとき、多様性に対応していくことが難しくなる。 こちらの世界とあちらの世界の両方を同時に理解できるようになることが望ましい。 サンタクロースが実在しないと知ったときの驚きというか落胆というか、そういう儀式は今でも日常の中に結構潜んでいると思う。 日常というものはそこに生きている人の知識や経験によって成立している。 それが集団で共有されるのが文化であり文明社会である。 だから、新しい知識や経験を体験したとき、社会自体のもつ意味も変化していく。 それに翻弄されると流行に流される人みたいに自分を失う。 社会的意味に翻弄されるのではなく、事象としての社会そのものを把握した上で、価値観を共有し、科学や倫理など時代とともに変化していく諸条件でつねに社会を見直し、柔軟に価値観をアジャストしていくことが大切なのではなかろうか。 余談かもしれないが、高齢化問題もイニシエーションと適正な価値観の共有を行うことができれば、ある程度高齢化社会が認知され、問題解決の糸口が見えるような気がする。 それにより逆に若者の社会的価値も認知され、ニート問題に対してもなんらかのヒントを与えてくれるのではなかろうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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