カテゴリ:カテゴリ未分類
伊集院 静著 『犬が西向きゃ尾は東』 2000 (株)角川書店 p.91
この本は競輪・競馬、麻雀にいそしむ作者のギャンブルライフをつづったエッセイである。 特に競輪に対しての造詣が深い。 ぼくは競輪はまったくわからないのであるが、やっぱり競輪選手によって自転車をこぐフォームが違うそうだ。 で、彼がひいきにしていた選手も独特のフォームを持っていたのだが、なぜかきれいなフォームへとまとまってしまい、それを嘆いている。 伊集院は王選手の一本足打法を例に挙げているが、確かにハウツー本に書かれているような理想的なフォームをしている人に大選手は少ないような気がする。 ぼくも野球が好きなので野球のたとえとなるが、昔のイチローの振り子打法もそうだし、渡辺俊介のサブマリンもかなり独特だ。 もちろん、桑田のように理想的なフォームでも大選手はいる。 十人十色というように、実は理想的なフォームというのも人の数だけあるのではないかと思う。 そもそも身長・体重、それに体型だって筋肉の質だって違う。 だから、アブソルートな理想形というのはないのではないだろうか。 理想的なフォームとは理に適ったフォームなんだと思う。 形にはきちんとした理論・理由が存在する。 だからそれを習得することはそれはそれで大事ではある。 ただし、その理由をきちんと理解した上での話しだ。 理想的なフォームを理解することにより、自分の体や能力にあわせての応用が利く。 それではじめて自分の能力を100%生かすことができ、一流の選手になれるのではなかろうか。 それは一般的には『理想的』なフォームではないが、その人にとってはまぎれもなく理想的である。 これはなにもスポーツに限った話ではない。 なにをやるにしても基本が大事で、それの集大成である理想形というものをまずは習得しておきたい。 そしてその形の理由を理解した上で、自分の能力や状況にあわせて技術を応用していく。 そうすれば誰にも真似のできないその人独特の『型』が出来上がる。 その自分なりの『型』を理想形をくずしながり見つけるのに、天才でもない限り、ものすごい努力が必要となってくる。 そうして自分なりの『型』を見つけることができた人は、ぼくは一流なんだと思っている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012年04月17日 23時21分39秒
コメント(0) | コメントを書く |
|