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本間 千枝子著 『父のいる食卓』 1992 (株)文藝春秋 p.129
この本は作者の自伝に近いもので、彼女の幼少時代の出来事が鋭い洞察のもとつづられている。 彼女は3歳にも満たないうちに、子供のできなかった母親の兄夫婦、すなわちおじ、おばのところへ里子へ出された。 というより、半分、略奪されていったといった方が正確だろう。 とはいえ別に仲が悪いわけではなかったため、実の両親、育ての両親、その両方の家を行ったり来たりと、親が4人いるような環境だったといっている。 ところがこの二人の父親、性格がまるで反対なのだ。 大正12年の関東大震災後、食料を蓄え災害に備えた義兄に対し、弟(実父)の直都はその日その日を楽しんで生きる。 そんな二人はしばしば衝突していた。 「『君の家庭のことだからわたしの考えを述べてみたところでおせっかいと嫌われるかもしれないが、直都君の家庭哲学は少しばかり感覚的に過ぎやせんか?』 『義兄さんはわたしを少しかいかぶっていやしないかな?わたしには哲学なんてものはありませんがね。』 『いやいや、哲学といって通じなければ、その、この難しい時代に女房子供を抱えて生きていく姿勢のようなものだ。君の職業が耳の感度という目にも見えなければ、つかんで頑張っているわけにも行かぬ、測る尺度もない絶対的で純粋なものによって成り立っているからといって、生活までその感度を第一にして暮らすのでは、わたしから見ると不安で仕方ない』 『義兄さんとちがってわたしは理屈も計算も、理性さえもない人間でね、要するに日々楽しく暮らせりゃそれでいい。第一に自分が楽しくて、まわりの者たちが楽しければ、生きているのがまんざら悪くはない・・・わたしにとっては仕事も趣味のひとつでね、釣も旅行も芝居見物も、うまいものを食うのも、本来はみんな同列なんですが、ま、おっしゃる通り生きていかなければなりませんから・・・幸いわたしでなければと言って下さる方はあるし仕事は面白いですからしますがね』 『それそれ、旨いものの話が出たけれど、不思議なことに、きみの舌はわたしと違ってうまいものを散々食って、食い厭きてしまった人の洗練の域というか、枯淡の息に達してしまっているが、はたで見ているとそれもかすかに不安だね。感覚的でありすぎるというのは刹那主義に通じるものがありゃせんかな。刹那主義といって悪ければデカダンスだ』 『この人の話はどうも理屈っぽいね、デカダンスだかめだかダンスだか知らないけれど、そう言われりゃ何とか言い返さなけりゃならない。ま、わたしは本来はデカダンスで仕方がないんじゃないかな。今あると思っても次の瞬間には消えてしまう「音」の商売なんですから』」 ちなみにここで言われている「音」の商売とはピアノの調律士のことである。 ここで主に義兄からであるが、後先を考えずにいい意味でも悪い意味でもその日暮らしをしている直都に対して、いろいろな言葉が使われている。 『感覚的』『刹那主義』『デカダンス』『洗練』『姑息』 この中で洗練というのはいい意味で使われることが多いが、もちろんここでは皮肉として使われている。 姑息と並べられていることからもそれは明白だ。 で、改めてこれらの言葉を眺めてみると、判断基準が個人に依存していることが伺える。 たとえば人は人という考え方ができるのであれば、他人の思惑に惑わされることもなく、自分が正しいと思った道を進むことができる。 そのとき頼れるものは自分の判断基準だけだ。 しかし、そこに生活がかかってくると、なかなか人は人などと突き放して言うことが難しくなる。 この物語では直都は才能のある調律士であるために仕事にあぶれることなどないが、才能のない人間は資格とか常識とか縁故とか人脈とか、そういった大樹に寄らねば生き抜いていくことがむずかしい。 別に大樹に寄ることを否定はしない。 そうしないと生きていくことすらできない人はたくさんいるだろう。 いや、むしろそういう弱い人の方が圧倒的大多数を占めている。 だからこそ、より自分(たち)を守っていくために、才能があろうとなかろうと、アウトローを排除していこうとする。 そこが問題だ。 大樹に頼らざるを得ないほど弱い人は、多様性も許容することができない。 良し悪しの判断がマニュアルがないとできないのである。 これは若い奴らと話していてもよく思うことである。 なんというか、頭が固いのだ。基礎ができても、応用がまるでできない。 いや、基礎自体が丸暗記で、なぜそうなのかを理解していないからなんだろう。 大樹も個人的判断も、すべてを並列できるくらいの度量を育てられるような教育ができるといいんだろうなぁ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年05月07日 10時45分05秒
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