私たちの幸せな時間
私たちの幸せな時間 2時間ほど見た。オッ重い。日本ではこれから公開されるようだ。死刑囚にとって死とは。許しとは。以前あるプラグで、アメリカで万物復帰の最中に殺された人の弟さんが統一教会の問題と殺人を犯した人は死をもって償えるのか。という問題を扱っていたので興味深く、読んだことがあります。その内容とオーバーラッブしておもしろかった。韓国からきた映画だと避けないで一度見てほしい映画でした。映画の見方はいろいろあるけど、私の見方をすこし表現してみようと思う。死刑囚が人間らしい感情をとりもどしていく中で、楽しそうに雪と戯れる場面が出てくる。無邪気に笑いながら、楽しむ姿は誰だって1度はした事のある遊びだしいたずらだ。幼いころ無条件に楽しい経験、目を見つめて笑いあう、共感しあう世界が人間の成長にとってどれだけ大切なことかと思った。そんな当たり前の経験、<当たり前というのは同じ限られた環境が同じであればこそ当たり前といえるのだが>ができないほど 貧しかったり、すさんだ幼児体験しかない人もいるのだ。 雪を見てうれしいと思えるのも雪を見て仕事が増えてたいへんだなあ。っておもうのも雪を見て何も感じないのも。実は幼児体験によるものだったりするのが多いんだなと思った。開かれた心がなければ、美しい風景も、美しい心も何も見えてこないし感動しないんだと思った。そしてそうしようと努力もしないしわからないから、そこに意味をおかないのだとわかった。国際結婚の難しさは、愛だけでは超えることが出来ないのです心を共有出来る部分が少ないので、言葉以上の言葉、認識の一致から始めないとますます、遠くなるのです。食べるものがなくて,木の皮をはいでしのいでいた生活をしていた韓国人と、ケーキやアイスクリームを食べカラーテレビを楽しんできた日本人の意識の違いを埋めるために徹底的に自己否定を強要するのが原理です。こんな生活を韓国にさせたのは、日本だと、蕩減復帰を利用して我慢と服従を要求するのが原理だったときずいた時には、もう元には戻れないのが韓国にいる日本人の現住所でしょうか。