古代日本文明と太極拳のつながり
みなさん、太極拳の手の動きって「勾玉」の形そっくりだって知っていました?「勾玉」ってそう、あの勾玉です。24,000年以上前、縄文時代に祭事に使われたのではないかといわれている謎の装飾品。それが勾玉です。いまだにはっきりと何に使われたかわかっていません。絵にかいてみると、なんだかオタマジャクシのような魚のような、なにかのシンボルマークのような形です。しかし、この形、どこかで見たことありませんか?太極拳を学んでおられる方ならすぐわかるはず。サーフィンをやっておられるかたもわかるかも・・・・。そうです、あの太極マークの片割れです。あれにそっくり。というか、あれそのもの。なんで中国の太極マークに、日本の勾玉の形が入っているのだろう?縄文人が中国の太極マークを真似たのか?しかし、中国で太極の思想が始まったのは、縄文時代のずっと後のこと。今から数千年前のことにすぎない。ということは、中国の太極思想の元祖は、日本の縄文文化ということになります。一部の考古学者によると、縄文時代には、カタカムナ文明という高度に発達した文明が存在していたといわれています。海外における古代インカ帝国とか、アトランティス文明などと同じレベルの文明だったということです。それを考えれば、その時代に太極思想がすでに生まれていても不思議はありません。しかし、太極マークが完成するためには、白と黒の2つの勾玉が必要です。しかし、勾玉は片方だけ。この理由は、日本人の「わびさび」の感覚に由来していると考えます。いらないもの、無駄なものは排除していってできる空間・・・・ここに美しさを感じる感覚。この感覚が、太極マークを表現するときに、あえて片方しか作らないということにつながってきます。太極とは、2項が対立しながら調和している世界。陰があれば陽がある。剛があれば柔がある。天があれば地がある。上があれば下がある。右があれば左がある。良いことがあれば悪いことがある。光があれば影がある。有があれば無がある。ここから考えると、片方の勾玉は「有」で実在しているが、もう片方は「無」で実在していない。つまり、片方しかないことで、「有」と「無」の2項対立を表現しているわけです。これこそ、中国人には無い、日本人の感性が生み出した太極マーク!そんな風に考えると、「粋だね~」と感心してしまいます。そして、太極拳の動きを見てみると、全てが勾玉の形を描いて動きます。日本の縄文時代の勾玉と中国の太極と太極拳。このつながりに不思議なロマンを感じます。